「バス停のダイヤグラム変わる四月」の批評
ハオニーさん
こんばんは。
いつもお世話になり、どうもありがとうございます。
ハオニーさんは理系ご出身なのに、
とても抒情的な俳句
を詠まれることが素敵です。
いつも、ハオニーさんの僕の句の添削
アドバイスで、
僕の俳句芸術の世界観や感性が磨かれます。
どうもありがとうございます。
俳句の破調もすごくかっこいいですね。
五七五ではない摩訶不思議なリズム感で俳句の可能性の広さを
感じます。
ちょうど昨日、『覚えておきたい極めつけの名句1000』(角川ソフィア文庫)という本の中のコラムの「字余り・字足らず」の項を読んでいましたら、
破調についても書かれてました。
ちょっと引用させて下さいね。もし既読であればどうもすいません。
以下、p106よりの引用になります。
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字余り・字足らずは、あくまでも定型を基本とするとらえ方であり、破調のひとつといえる。したがって、自由律ではその概念自体が成り立たない。
字余りがどこまで許容されるかについては、高浜虚子の
凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
あたりを限界と考えればよい。その理由は、構造上、五・七・五を四分の四拍子四小節と見て、一小節が八分音符八個(四拍に相当)分、つまり全体で二四音くらいまでなら定型の範囲に収まると考えられるからである。一音を八分音符一つに置き換えてみると分かりやすいのである。
字足らずは
兎も片耳垂るる大暑かな
芥川龍之介
などの例があるが、リズムが悪く、音楽的な効果は期待できない。逆にその不安定な感覚を生かす意図があれば、敢えて字足らずにすることもある。
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最後に書いておられる不安定な感覚を生かす意図があれば破調にすることもある、
という意見に僕は大賛成なんですけどね。
僕はまだ、俳句歴5日なので、2、3年はひたすら五・七・五の定型で俳句の基本を体得しようと思ってるんですけどね。