「訪ね来てチャイム鳴らさぬ雪だるま」の批評
こんにちは。
御句、
◆切れの位置に悩みました。
初読では上五の切れ「訪ね来て/チャイム鳴らさぬ雪だるま」で解釈し、「自分が訪問したら、そこにはチャイムを鳴らさない雪だるまがあった」という句意と思い、「チャイムを鳴らさない雪だるまって何だ???」というところで解釈が止まりました。
次は「訪ね来てチャイム鳴らさぬ/雪だるま」の切れで考えましたが、この場合も「訪ね来て」の主語は自分という解釈になるのが普通だと思います。ので、「自分が他人の家に訪問したがチャイムを鳴らさずに立っている。同じ場所に雪だるまが見えている」という解釈。成立はしますが、そこから膨らみませんでした。
最後に、途中の切れなしも鑑賞してみましたが「訪ね来て」が雪だるまの擬人化になってしまうので、この「切れなし」は正解ではなかろう、と思いました。
で、コメントを拝見して句意に驚く、というかたちです。
コメントの句意に受け取れなかった理由としては
◆「訪ね来て」の動詞の主役が句中に登場しない(あるいは雪だるまの擬人化?)こと、かつ「チャイム鳴らさぬ」の部分は雪だるまの擬人化として明確なため、だと思います。
標準的な読者は【作中主体(つまり句の風景を観察している者。作者のことも)】【雪だるま】を基準として句を解釈すると思います。さらに登場人物を想起させることも俳句
で可能だとは思いますが、御句はそこまで及べていないように思います。
◆「訪ね来て」「チャイム鳴らさぬ」説明の動詞が多いのに、他の省略が多すぎる、というのもあるのかもしれません。
比較句「呼び鈴を鳴らさずに立つ雪だるま」
俳句としてみたときは、こちらの方がシンプルでいいですね。
季語
を主役として見たとき、比較句の方が季語がより立っていますし、「当たり前のことしか言っていない」ことから、逆に「では、呼び鈴を鳴らすのは何(誰)?」というのを心の中に少しだけ引っ掛けることができます。
まあこちらの句も「チャイムを鳴らすいたずら」までは想像が至りませんでしたが・・
ちなみに雪だるまの擬人化解釈の件。私の場合。
◆明確に「雪だるまが呼び鈴を鳴らして立つ」と説明文になっていたら「雪だるまが訪ねてきてチャイムを鳴らした、と作者は言いたいのだな」と解釈します。
◆「呼び鈴を鳴らして立つ雪だるま」のパターンなら、「立つ」の後に切れている可能性あるので「雪だるま」と「立つ」は別の存在と解釈するパターンも考え、最終的に句にとって幸せな解釈を考えます。
これで回答になっておりますでしょうか。