梅の風俳諧國にさかむなり
素堂
山口 素堂は、江戸時代前期の俳人である。本名は信章。幼名は重五郎、通称は勘兵衛、あるいは市右衛門。字は子普、公商。
生年月日: 1642年6月1日
死亡: 1716年9月30日
~ウィキペディアより。
◆梅/うめ
初春
好文木/花の兄/春告草
匂草/風待草/初名草
野梅/梅が香/梅暦
梅の宿/梅の里
早春のまだ寒気の
残る中、百花にさ
きがけて白色五弁
の花を開く。「花
の兄」「春告草」
とも呼ばれ、その
気品ある清楚な姿
は、古くから桜と
ともに日本人に愛
され、多くの詩歌
に詠まれてきた。
清雅な香りの花で
あり、香気では桜
に勝る。
梅若菜鞠子の宿のとろろ汁
芭蕉「猿蓑」
山里は万歳遅し梅の花
芭蕉「瓜畠集」
梅が香にのつと日の出る山路かな
芭蕉「炭俵」
春もややけしきととのふ月と梅
芭蕉「薦獅子」
灰すてて白梅うるむ垣根かな
凡兆「猿蓑」
しんしんと梅散りかかる庭火かな
荷兮「あら野」
二もとの梅に遅速を愛すかな
蕪村「蕪村句集」
~きごさいより。
◆梅五句
悠
こきこきと頚を鳴かせて梅仰ぐ
梅のかぜ千里を吹きて古里へ
探梅や紅のくちびる吸ふ木陰
東風ふかば校舎の裏の少女かな
梅咲かば桜まだかと老の胸
感動の一句をどうぞ。
両手で顔被う朧月去りぬ/金子兜太
よくはわからないけれど、しかし、印象に残る句がある。私にとっては、掲句もその一つになる。つまり、捨てがたい。この句が厄介なのは、まずどこで切って読むのかが不明な点だろう。二通りに読める。一つは「朧月」を季語
として捉え「顔被う」で切る読み方。もう一つは「朧」で切って「月去りぬ」と止める読み方だ。ひとたび作者の手を離れた句を、読者がどのように読もうと自由である。だから逆に、読者は作者の意図を忖度しかねて、あがくことにもなる。あがきつつ私は、後者で読むことになった。前者では、世界が平板になりすぎる。幼児相手の「いないいない、ばあ」を思い出していただきたい。人間、顔を被うと、自分がこの世から消えたように感じる。むろん、錯覚だ。そこに「頭隠して尻隠さず」の皮肉も出てくるけれど、この錯覚は根深く深層心理と結びついているようだ。単に、目を閉じるのとは違う。みずからの意志で、みずからを無き者にするのだから……。「俳句
的な」姿勢に発していると読めば、また別の解釈も成立する。と、いま気がついて、それこそまた一あがき。『東風抄』(2001)所収。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記
より。
◆朧/おぼろ
三春
草朧/岩朧/谷朧/灯朧
鐘朧/朧影/朧めく
春、南風が吹いて
空気中に水蒸気が
多くなると、万象
がぼんやりと柔ら
かく見えるように
なる。そういう現
象を昼は「霞」と
いい夜は「朧」と
いう。
辛崎の松は花より朧にて
芭蕉「野ざらし紀行」
鉢たたき来ぬ夜となれば朧なり
去来「猿蓑」
辛崎のおぼろいくつぞ与謝の海
蕪村「橋立の秋」
白魚のどつと生るるおぼろかな
一茶「文化句帖」
~きごさいより。
◆ 朧
悠
朧夜の朧に浮かぶ劔岳/悠
感動の一句を教えてください。
今日の一句
ハルマゲドンの跫音ひゞく朧の夜
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両手で顔被う朧月去りぬ/金子兜太
よくはわからないけれど、しかし、印象に残る句がある。私にとっては、掲句もその一つになる。つまり、捨てがたい。この句が厄介なのは、まずどこで切って読むのかが不明な点だろう。二通りに読める。一つは「朧月」を季語
として捉え「顔被う」で切る読み方。もう一つは「朧」で切って「月去りぬ」と止める読み方だ。ひとたび作者の手を離れた句を、読者がどのように読もうと自由である。だから逆に、読者は作者の意図を忖度しかねて、あがくことにもなる。あがきつつ私は、後者で読むことになった。前者では、世界が平板になりすぎる。幼児相手の「いないいない、ばあ」を思い出していただきたい。人間、顔を被うと、自分がこの世から消えたように感じる。むろん、錯覚だ。そこに「頭隠して尻隠さず」の皮肉も出てくるけれど、この錯覚は根深く深層心理と結びついているようだ。単に、目を閉じるのとは違う。みずからの意志で、みずからを無き者にするのだから……。「俳句
的な」姿勢に発していると読めば、また別の解釈も成立する。と、いま気がついて、それこそまた一あがき。『東風抄』(2001)所収。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記
より。
◆朧/おぼろ
三春
草朧/岩朧/谷朧/灯朧
鐘朧/朧影/朧めく
春、南風が吹いて
空気中に水蒸気が
多くなると、万象
がぼんやりと柔ら
かく見えるように
なる。そういう現
象を昼は「霞」と
いい夜は「朧」と
いう。
辛崎の松は花より朧にて
芭蕉「野ざらし紀行」
鉢たたき来ぬ夜となれば朧なり
去来「猿蓑」
辛崎のおぼろいくつぞ与謝の海
蕪村「橋立の秋」
白魚のどつと生るるおぼろかな
一茶「文化句帖」
~きごさいより。
◆ 朧
悠
朧夜の朧に浮かぶ劔岳/悠
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水ぬるむころや女のわたし守
蕪村
季語
水温む/みずぬるむ/みづぬるむ
仲春
温む水/温む沼
温む池/温む川
例句
水ぬるむ小川の岸やさざれ蟹
千代女
鷺烏雀の水もぬるみけり
一茶
芹目高乏しき水のぬるみたり
子規
懐かしや二度逢ふ人に水ぬるむ
かな女
朝晩の手水親しく水ぬるむ
悠
俳人
西東三鬼
1900~1962
作品
国飢ゑたり我も立ち見る冬の虹
雪の町魚の大小血を垂るる
中年や独語おどろく冬の坂
大仏殿いでて桜にあたたまる
恐るべき君等の乳房夏来たる
秋の暮大魚の骨を海が引く
今日の一句
痩川の鴨の親子に水ぬるむ
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金子兜太の朧月の俳句
と悠さんのコメント、楽しく鑑賞させてもらいました。金子兜太は私にとって難しい印象もありますが、同時に自由で力強い作風に魅力を感じる人でもあります。いつかこんな詠みかたも出来たらなと思うばかりです。
さて、奇しくも私が今回紹介させてもらう俳句は、ある意味その真逆のタイプかもしれません。多分、そこまで有名な俳句ではないのですが
山の田をこぼれきしとも稲雀
稲畑汀子
上五中七の主語(籾と思われる)、そしてもう一つの対象物が下五で一気に明らかになります。そしてそこで映像がくっきり浮かぶ、そんな作品ではないでしょうか。読み進める過程をより楽しくする緻密な技を感じました。
紛らわしい記事構成でごめんなさい! 感想文は末尾にお断りしたように、増殖する俳句
歳時記
中の《清水哲男》氏からの転載です。 兜太の句は僕にも未消化で、というより、兜太の句で感動の一句に未だめぐりあっていません。その作品さえ、世間に評価の高い二三の句を知るのみです。 ではなぜ、ここへ紹介したのかと言えば、最近、兜太を詠んだ句が、たて続けに読売俳壇に採られたことへの、故人《をネタにした事》への挨拶句のような気持ちからで、きわめて不純な動機です。 〇山の田をこぼれきしとも稲雀
稲畑汀子 秀句のご紹介ありがとうございます。
今日の一句
寒昴父の柩に釘を打つ
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