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回答者 竜子
添削した俳句: パンジーや願い思いをカラフルに
こま爺様 おはようございます
お世話になります。
拙句の大鳥居のコメントありがとうございます。
上五に大鳥居の方がいいですかね?(大鳥居が前面に出て鳥の巣が脇になりそうな)初心者の感想ですが。
ご提案の句は
同じ木に今年も巣を掛けたという句意から外れる気がしますがどうでしょう?
しかし、貴重なご提案をありがとうございました。
御句
カラフルについて
カラフルに駅前通り師走かな 深志
藤田湘子の20週俳句入門に196頁
この句について藤田は「カラフル」はいけない。俳句の中に外来カタカナご急増しているが、これをどこまで許容するかということは、俳句形式にとってとても大きな問題だと、私は考えている。
「時代の流れがそうなんだから、俳句の中にも、外来語がどんどんふえてかまわない」と言っている人もいるようだが、これは軽率というか短絡的な考え、なぜかというと日本語は、漢字、平仮名、片仮名の順で<重さ>を持っている。
逆にいえば、片仮名語はたいへん軽い印象をあたえる。浅薄と言ってもいい、だからそういう軽い言葉がわずか17音に中に何音かを占める傾向がつよまると、俳句作品は軽くなってしまう。わずか17音で、薄っぺらで軽いフレーズというのでは、「俳句の前途危うし」です。私だったら「カラフル」をなんとか本来の日本語で表現しようとするだろう。そこで苦労するかもしれないが、それを克服した時のよろこびは大きい。極言すれば、そういうところに表現者のやりがいがある、と言える。苦言のようになったけれど、大事なことだから一言した次第
(抜粋です参考までに)
しかしながら時代とともに俳句も変化せざるを得ないのでしょうか?
昔の人間としては寂しい気がします。
よろしくお願いいたします。
点数: 1