「いや待てよ雪なら傘は置いていこ」の批評
つづき
〇本題です。ご質問の「口語俳句
の中でなにを優先して意識しているか」。
前述のように、私の中では口語俳句は、①話し言葉をそのまま句にした俳句、②話し言葉ではないが現代語を使った俳句ーーがあります。
①なら話し言葉として自然であることは絶対ですが、②ならそれは意識しません。
どっちを選ぶかは、その句によるとしか言えませんが、やはり俳句ですので、季語
が立っているか、詩があるかが一番重要だと思っています。
〇私の場合、口語俳句は良くも悪くも散文的になりやすく、サラッと読めてしまうので、そこでどう季語を生かした詩を生むか、読者の目にとまり心を打つ句にするかに頭を使います。
私の癖ですが、「語順や文法は自然だがシチュエーションが特殊」みたいな口語俳句を多く詠んでいる気がします。そこでインパクトを出すイメージで。
・遺書書いて来たのに土筆生えてゐる
・夕立を予言したので付き合おう
・花野にいました証人はいません
・さうですよ氷柱五本の家ですよ
一応、季語の選択はかなり意識しているつもりです。
ただし実力のある方はもっと上手く作っていますし、もっと良いコツを掴んでいると思います。これはあくまで私の癖ですね。。
〇文語でも口語でも、17音の世界ですので、感動の焦点を絞ることは大切だと私は思います。
晩乃さまの「いや待てよ雪なら傘は置いていこ」をより突っ込んで添削
するなら、私ならば「いや待てよ」の是非を検討します。この5音によって「最初は傘を持って出ようとした」ことを示唆しているわけですが、その情報が本当に必要かどうか?
この句の感動の中心は「雪ならいっそこの身に浴びたい」という気持ちだろうと思いますので、誤解を恐れず言えば、それ以外の情報はノイズであり省略の対象だと思います。周囲が暗いほどスポットライトは輝きます。
(もちろん例外はあり、情報を畳みかける名句もあると思います)
・傘なんて置いていこうよ雪だから
『初富士だどこだ右右ほら屈め』
映像が一貫しているので、切れの多さは気になりませんでした。
ただ「初富士だ」と言っているAさんと「どこだ」と言っているBさんが混在しているのがちょっとわかりにくいかも。Bさんのセリフはカットしていいのでは。
そして「初富士」という季語が生きているかはやはり考えますね…富士山を見つけたことに感動の中心が置かれているので、「初富士だ」を「富士山だ」と無季語句にしてもあまり変わらないような気がしちゃいます。
『乗初や助手席にほら富士見える』
たしかに会話としては不自然なので、無理に話し言葉にしなくていいのでは。
あとやはり季語が生きているかは(以下略)。
長々と書いた割にあまり中身のないコメントだったような…ごめんなさい。
もっと気がついたことがあれば逆に教えてください!
またよろしくお願いいたします。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
お題で一句。東京は滅多に雪が降らないので、大人になった今でも心躍ります!