「かなしびの向かふに並ぶ土筆かな」の批評
回答者 めい
ヒッチー。お世話になります。
御句。かなしびの向かふという措辞は、歌詞にでてくるようなフレーズと感じました。
感覚的に、なんとなくイメージとしてわかるけど、はっきりとした景が、出てこないんです。
●あの丘を超えてつんつんつくしんぼ
リズミカルに、楽しい感じに。
🙏🙇♀️
点数: 0
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作者 ヒッチ俳句 投稿日
回答者 めい
ヒッチー。お世話になります。
御句。かなしびの向かふという措辞は、歌詞にでてくるようなフレーズと感じました。
感覚的に、なんとなくイメージとしてわかるけど、はっきりとした景が、出てこないんです。
●あの丘を超えてつんつんつくしんぼ
リズミカルに、楽しい感じに。
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回答者 イサク
おはようございます。
◆意味の切れが全くなくつながっていると受け取った場合、
「かなしび」という単語が曖昧で、「かなしびの向かふ」ということばで作者が描こうとしている映像が何なのか、受け手が想像するのはとても大変だと思いました。
「かなしびの向かふ」という広い映像が想像できないまま「並ぶ土筆」という小さい風景に視点が移動して、広い映像が曖昧なままになりもやっとします。
◆「かな」構文なので文法上は繋がっているのですが、意味の切れがあると解釈することも可能です。
(例えば、「遠山に日の当たりたる枯野かな/虚子」の句の中七「日の当たりたる」は「遠山」にかかっていて「枯野」にかかっていないのは有名な話ですね)
・「かなしびの/向かふに並ぶ土筆かな」
(かなしびの⇒土筆、という意味にもとれる)
・「かなしびの向かふに並ぶ/土筆かな」
(かなしびの向かふに【自分が】並んでいて、取り合わせの「土筆」。虚子の「遠山」と同じ形)
意味を上記のように考えることも可能なので、より一層解釈が増えて、どれが作者の言いたいことなのか迷います。「受け手に任せる」のと「迷わせる」のは違うので、少し整理をした方がよいと思います。
たとえば「観念」を「風景」の中に混ぜると観念で風景が見えにくくなるので、もっと措辞を観念に寄せるか、シンプルに風景と季語に託すか、など・・・
点数: 3
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回答者 春の風花
ヒッチ俳句さま こんにちは
御句拝読しました
切なくなるような美しい句ですね。
悲しい思いをしていたが土筆の並んでる様子を目にし少し力をもらえた。
というように鑑賞させていただきました。
間違ってたらごめんなさい。
このままでも好きですが
あらちゃん様の句は「目で追う」という動きがあり
此方にも1票入れさせてもらいます。
よろしくお願いいたします。
点数: 0
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回答者 頓
ヒッチ俳句様、今日は!頓です!
早速にて…。
御句、投句されて以来、ずっと考えさせて頂いておりました。私目は、原句で、良く分かったつもりなのですが、各位、ご指摘が…。
いろいろ考えたのですが、二点ばかり…。
一点目。
上五の「の」の助詞→この際、タブーな「に」にしてはどうか…。
中七の「向かふ」が抽象的且つ上五の「の」と結びついて問題視されているので→「堤に並ぶ」と、具体的な景にしてはどうか…。
以上から、
《かなしびに堤に並ぶ土筆かな》
ではどうですかなぁ…。
全くの駄句…私は、未だに原句が良いと思うのですが…。
何やら、中途半端なコメントで、申し訳ございません、失礼仕りましたm(_ _)m。
点数: 0
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某句選のお題です。
こて調べの一句です。
何なりとご意見頂けますようお願いいたします。