「夜勤明け雛飾る髭は3ミリ」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
ひととおり出ていると思います。
出ていない意見優先で。
◆頭で想像して作った句でよくあるのですが、「誰の視点から見ている句なのかなあ?」と思います。
五五七のリズムが三段切れではないとしたら「雛飾る髭」というつながりがあり、髭の生えている人(父?)を客観視しているようです。「髭は3ミリ」も同様に、父を見ている人がいる視点。
ですが「夜勤明け」は自分のことであるかのように語ってます。
視点のブレは、受け手が頭の中で映像を紡ぐのを妨げることが多いです。言い方を変えれば「リアリティが足りない」ということになるでしょうか。
慈雨様、あらちゃん様、いるか様、なお様の提案句は、自分が父の視点で一句を貫いており、作者(作中主体)が雛を飾っている体になっています。
ゆきえ様の句は、こどもの視点なのかな?句の中に「父」の映像が登場してきます。
ここに挙げたどなたの提案句も、映像が矛盾なく紡げていると思います。
頭で作るな、というわけではありません(イサクはかなり想像で作ってます)。想像のリアリティを損ねないための作句テクニックとして頭の片隅に置いておいていただければ。
点数: 1
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あくびをこらえながら我が子のために一生懸命作っている光景を想像して作りました。