「仏壇の奥仄暗き昼炬燵」の批評
鈴蘭さま、こんばんは。
御句拝読しました。炬燵から覗く仏壇の奥、日常の何気ない1シーンでありながら感慨深い一句ですね。
一物仕立て…ですかね?季語
以外のもの(仏壇)も描写しているため、一物仕立てと取り合わせの中間のような印象を持ちました。
NHK俳句
で堀田季何さんはこういうタイプの句を「一物仕立てとも取り合わせともとれる」と解説してた気がします。夏井先生
はまたちょっと違った解説をされてたり、色々なのかもしれませんね。
気になったのは、少し山本山っぽいところです。仄暗いのが仏壇なのか、炬燵なのか。中七がどちらに掛かっているのかわかりづらい気がしました。
作者としては、コメントにあるように「昼炬燵というのは昼に炬燵に入る『行為』のこと。行為が仄暗いはずがないので、中七は上五に掛かるのはわかるはず」ということなのだと思いますが、やはり読者としてはわかりにくいです。
(「昼炬燵」の言葉の定義もそれでいいのか、ネットで調べても確たるものが見つけられませんでした)
・仄暗き仏壇の奥昼炬燵
ではダメですかね…?
これだと完全に取り合わせの形になりますが、意味は通じやすいかと思いました。「奥昼炬燵」となってしまい読みづらいですが。。
またよろしくお願いします。
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真昼間から炬燵に入って仏壇を眺めています。昼炬燵を「昼に炬燵に入る行為」ととらえて一物仕立てを試みましたが、いかがでしょうか。鑑賞・ご意見、よろしくお願いします。