「亡き友の声に聞こえし除夜の鐘」の批評
回答者 頓
東野様、今日は!初めまして?頓と申します。宜しくお願いします。
早速にて…。
除夜の鐘の音が、亡きご友人の声に聞こえる、というのは、私の乏しい感性からしますと、全く以って、不自然であります。
普通にお考えてください。そもそも、除夜の鐘の音と人の声に、音としての共通性、見出せますかな?
この極めて不自然な状況を脱するには、自然体お詠みになる以外ありません!
つまり、除夜の鐘を聞いていたら、亡き友のことを思い出し、偲ぶのであった(ある)とするのが自然ではないでしょうか?
◎胸響く亡き友偲ぶ除夜の鐘
駄句ですが、かような状況が自然ではないでしょうか?
表現の自由がありますから、東野様がいかようにお詠みなるかは、ご自由です。その一方で、読者の理解が得られることも同時に求められるものかと思います。
俳句も文芸ですから、そこには虚構・虚飾が当然ありましょう。しかし、その虚構・虚飾は、事実の積み上げに裏付けられたものでなければなりません!
ふと気付くことも大切でしょうが、単なる思い付きでは、裏付けがありません。
今一度、原点に立ち返って、再考、推敲されることお勧め致します。
失礼致しましたm(_ _)m。
点数: 1
いつも、丁寧な添削をして頂きありがとうございます。
年末になると、一年を振り返るだけでなく、自然とこれまでの人生が思い出されて振り返ります。
また、喪中葉書が届きますから、尚更です。
そんな事を考えていると、耳に残っている亡き友の声が思い出され、それと除夜の鐘が重なって、同じ様に聞こえる。
そんな情景を詠んでみました。