「山麓の絶えて久しや赤とんぼ」の批評
回答者 こま爺
おはようございます。
原則過去は読まないのが俳句らしいですが必ずしもということのようです。こうすれば句になるかも。
*山麓に赤トンボ群れしあの時
岸本尚毅の俳句レッスン:回想も格好の題材に|秋田魁新報電子版
https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_30.jsp
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作者 頓 投稿日
回答者 こま爺
おはようございます。
原則過去は読まないのが俳句らしいですが必ずしもということのようです。こうすれば句になるかも。
*山麓に赤トンボ群れしあの時
岸本尚毅の俳句レッスン:回想も格好の題材に|秋田魁新報電子版
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回答者 なお
不尽さん、こんにちは。
御句拝読しました。
もはや、議論は一段落したかもしれません。私は今日も、一昨日と同じ、拘束時間の非常に長い業務をしていましたので、せっかく慈雨さんが、私の句を引き合いに出してくださったのに、何も反応できませんでした。今からさせていただきます。
拙句「さう言へば近ごろ毛虫見なくなり」では、見なくなった動植物も季語として扱われるのか?のような問いかけをさせていただきました。
ただ、この時は、私は毛虫を見ていないが、皆さんはどうですか?という感じで、例えばどなたかから、「何言ってるの、うちの周りは毛虫だらけだよー、あんたが気が付かないだけだよ」も言われるかもしれないと思い、そう言われても大丈夫なような作りにしていたつもりです。
翻って、御句「絶えて久し」ですと、作者が近ごろ見かけないどころではなく、「もうだいぶ前に絶滅してしまった」みたいな印象を与えそうかなという気がしました。
そこで、
・山麓に久しく追はぬ赤とんぼ
実際に見ていない動植物は季語になるのかどうかの議論は別として、私はこの手の作りの俳句を詠む場合は、「見てないのはお前だけだよ!俺の周りはたくさんいるよ!」と言われてもいい余白を残しておこうと最近は思っています。
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回答者 あらちゃん
不尽様おはようございます。
絶えてしまった赤とんぼを詠んでしまっては季語が生きないと思います。
せめて昔はいたよと詠まれるとよろしいのかなと。
山麓や今は昔の赤とんぼ
これが正解かどうかは分かりません。
よろしくお願いいたします。
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回答者 イサク
おはようございます。
御句
◆赤とんぼが目の前にいない
⇒この句は、赤とんぼの季節でなくても成立する
⇒季語として弱い
となりますね。
「目の前にない季語」は「作者の頭の中にしかない」ということになりがちなので、難しいです。
目の前にない季語を詠みつつ季語を生かす、というのは相当難易度が高いです。
◆「赤とんぼを見なくなった」
という感慨を詠むとして
「冬(晩秋)になったから(寒くなって)赤とんぼがいなくなった」のか
「昔いた赤とんぼを近年は見なくなった」のか
どちらか、明確にした方がよいと思います。
「受け手に任せる」などではなく。
受け手に任せるのは「句意」ではなく「想像の余地」の範囲にしたいですね。その上で受け手が句意を膨らませるのはありだと思います。
・赤とんぼ見ぬまま秋の過ぎゆけり (今年は見ていないという句意)
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回答者 竜虎
不尽様 おはようごうざいます。
お世話になります。
拙句の秋風のコメントありがとうございます。
句意はあらちゃん様の二番目です。
御句
絶えてでは赤とんぼの季語が薄くなりますかね?
・山麓の今はすくなし赤とんぼ
こんな感じはどうでしょう。
よろしくお願いいたします。
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回答者 慈雨
不尽さま、こんにちは。
寂しい気持ちのストレートに伝わってくる句ですね。本当に自然の形も変わっていっていますよね…。良い句だと思います。
「赤蜻蛉」ではなく「赤とんぼ」とされていることで、子ども時代をふり返っているような想像ができるのも佳いなと思いました。
一点、このままだと赤とんぼではなく「山麓が絶えて久しい」ように読めてしまいませんか?「や」の位置を変えた方がいいように思いました。
・山麓や絶えて久しき赤とんぼ
「目の前から消えた季語は季語として使えるか」問題については、なお様が問題意識をもって何度か投稿されていました。色々な意見があり、参考になると思います。
勝手に引用させていただき…(なお様、すみません)。
・さう言へば近ごろ毛虫見なくなり/なお(じい)
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26469
私としては、御句は「秋になったのに赤とんぼがいないなぁ」という句だと伝わるため、秋という季節を伝える存在として季語「赤とんぼ」は生きている、という意見です。
(もしこれが「写真に撮った赤とんぼ」とかですと、その写真を見ているのは冬かもしれないし春かもしれないため、季語の力は限りなく弱くなると思います)
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回答者 慈雨
再訪です。度々すみません。
先程の私のコメントの補足です。
単に赤とんぼの季節が過ぎて冬になった、とかであれば「絶えて久しい」という表現は使わないんじゃないかなぁと(私は)思いました。
なので、「(本来は赤とんぼがいるはずの)秋になったのに、赤とんぼを見かけない」と読むのが自然であり、「赤とんぼ」は秋の季語として機能していると思う――というのが私の意見です。
ただもちろん「記憶の中の(目の前に存在しない)赤とんぼ」であることは間違いないので、色々な意見は出されますよね。私も勉強させていただきます☆
この辺の議論も楽しみながら学んでいきたいですね。
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回答者 イサク
おはようございます。
慈雨様との意見交換になってしまいますが、こちらの句の解釈の方向性の話ですので、大変失礼ながらこちらにて。
1~2ヶ月でも「絶えて久しい」と感じる考え方もあると思いますし、実際にそういう表現をされる方を拝見したことがあります。可能性を唱えましたし、現実に私は解釈に迷いましたので、自然な解釈ではなくて申し訳ありません。
私を含めどなたも「季語として機能していない」とは書いていない、ということも補足しておきます。
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回答者 慈雨
再々訪、ごめんなさい。
このスレッドもお借りするような形になってしまってすみません。。
イサク様のコメント拝見し、たしかに1、2か月でも「絶えて久しい」という感じ方もあるのだなぁと勉強になりました。
何となく、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど~」のイメージがあるためか、「幾年もの月日」という狭い想像をしてしまっておりました。
大変勉強になりました。不尽様、イサク様、失礼しました&ありがとうございましたm(__)m
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
山麓に沢山の赤とんぼが群れていたのに、何時の間にか、その姿が観えなくなって、遠い昔のように感じられました。
そんな感慨に浸り、今の実景を詠みました。
宜しくお願い致します。