「夏の果咲いた火の花伸ばした手」の批評
回答者 なお
ネスタさん、こんにちは。初めまして。いい選手だったですねー。今でもファンなのですか?
俳号をきちんと漢字で書かなくてすみません。なんだか難しかったので(笑)。
さて御句は、前句から拝読しております。
ちょっとよく意味がわかりにくいのは、花火のことを前句では「夜空の花」、本句では「咲いた火の花」と言い換えておられるためではないかと。
これは夏の果という季語との季重なりを避けるためですか?
季重なりを避けるために一方の季語を別の言い方にすると、よく意味がわからなくなることがあります。
そもそも、季語が重なるという事態は、俳句としては望ましくないことなのだと思います。
また、本句も「伸ばした手」はそのままですが、これが、なぜ伸ばしたのかがわかりにくいのも、全体に意味をとらえにくくしている一因ではと思います。
私は、御句を拝読して、次のような句が浮かびました。
・消へぬうち掴まんとする花火かな
まだ推敲が必要ですが、お詠みになりたいのはこのようなことではないかと。
私がこの句を目にしたら、「花火が消えてしまうと夏が終わってしまう。それは淋しいから掴んで離さないように(消えないように)してしまおう」ということかと推測すると思うのです。
いかがでしょうか。
点数: 1
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先程投稿した句の指摘された場所を自分なりに添削してみました。
初心者なのでガンガン添削お願いします。
句の説明です。
花火を見ていて同時に夏の終わりを感じてしまい終わってほしくないという気持ちから、火の花(花火)を掴んでしまえば夏のままでいられるのではないかという考えを句にしました。
改めて、添削宜しくお願いいたします。