「鐘の音に歓呼遠のく秋の暮」の批評
回答者 こま爺
こんばんは。
*チャイム鳴る児童去りつつ秋の暮
説明かどうかという問題ですね。やはり説明でしょうね。
「チャイムなる」と「児童去る」この二つの文章間の意味の関係を考えて見ます。
「チャイムがなると帰らなければならない。だから帰ったのね」とその理由と結果を誰もが読めてしまいます。そこに驚きも感動もなく「ああそうですね」と受け止めておしまいということになります。
読者かが「ええ、何故、どうなるの」とおどろいたり想像したりする余地がないわけです。
こうしたらどうでしょうか。
*チャイム鳴り児童沈黙秋の暮
この場合だと「沈黙って何故、その後どうなったの」と読者の想像の余地が生まれる思います。だから少しは改善されるのではないでしょうか。
避けるべきは、
前提を述べる文章:ある事が成り立つための前置きとなる条件を述べる。「就職には修士号を―とする。
因果を述べる文章:雨が降ったらお店の来店客が減る 。
理由を述べる文章:物事がそのようになったわけはかくかくしかじか。
こうやって鋭く要点に踏み込まれる人そう多くは無いと思います。かなりゴールが近いと期待します。僭越ながら。
今後ともよろしく。
点数: 1
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何時もどおりの夕刻。外から聞こえる「音」のみの情景を詠みました。