「木犀の風立つ山のあなたかな」の批評
こんにちは、こちら拝見しました。一旦実景として読ませていただきました。
見えない山の向こうを偲ぶ様子が感じられました。「木犀の風」が素敵ですね、これだけで伝わることが実感できました。「あなた(彼方)」のひらがなも利いていると思います。とはいえどうしても、山の向こうから香るなんてどれだけ持続するんだろうという、フィクション感も拭えない一面が。といって、距離感を縮めてしまうと句意から遠くなるんですよね。
「風立つ山」か「風立つあなた」か問題もありますね。山でピンポイントに風が起こるよりは山の向こうから吹いてくるのだろうと類推できなくもないですが、もっとわかりやすくはなると思います。そういう意味では「あなたより」「風来ぬ」は親切ですが、これらだと倒置法になって真ん中で切れてしまう。調べとしては今が美しいから悩みます。
たとえば木犀で切って本歌取り。木犀が実際に長距離を香ってくる必要がなくなります。これは本歌から取りすぎな気もしますが。
木犀や山のあなたのなほ遠く
あるいは、山の向こうの木犀を想像するなど。
木犀の咲くてふ山のあなたかな(※山かあなたか問題が悪化しています)
山ゆけば木犀咲くと人のいふ
思いつくままで恐縮です。ところで、水原秋櫻子の作品(馬酔木調)がお好きそうだなと思いました。短歌的な文学上の美を追求した人たちです。もうご存じでしたら恐縮ですが、参考になるかもしれません。
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「山のあなた」の詩のイメージを俳句にしたつもりです。木犀の香に切ない憧れの思いを託しました。「山のあなたより」か、「風来ぬ」か、朝からあれこれ言い換えて悩んでいます。何かいいお考えがあったら教えてください。