「秋の空こころの挽詩ありにけり」の批評
回答者 鈴蘭
拙句へのコメントありがとうございました。はい、「水路」にしたことを指しました。小川くらいの幅で、まっすぐに水が引かれていました。両側は農地だったかな…うろ覚えです。サイズ感は、句意的にはあまり問いません。普段は人の手で制御できているものが荒れていることを示したかったのです。ただ「水路」だけでは意味が広すぎたのでしょうね。あれこれ調べてみると、水源から用水を引いてくるための水路を疏水や井路、分水と呼ぶそうです。幅感が定まってきそうなので、これらを使う手はあったかもしれません。
分水早や濁流となる狗尾草
ところで、中七切れをこの機に勉強しなおしました。終止形、良い感じですね。
連用形:水路は早くも、濁流となり……狗尾草。
終止形:水路は早くも、濁流となる。狗尾草。
余韻を漂わすか、しっかり切り上げるか。何となくで処理していたので、次からはしっかり決めて作っていこうと思います。
余談ですが知り合いの学芸員に教えてもらった話では、江戸時代頃まで秋の洪水を歓迎していた地区もあったそうです。作物の種類にもよりますが、田畑に養分がもたらされたとか。大洪水ならいざしらず、例年規模の洪水なら生活に組み込んでいたのでしょうね。現代ではさすがに難しいですが。
おかげさまで深堀りできました。ありがとうございました!
点数: 1
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秋の空には心を滅すると言うか自分を滅するような、そんなものがある気がして、、、
「挽歌」でもいいかなと思いましたが、「挽詩」としました。
よろしくお願いいたします。