俳句添削道場(投句と批評)

以下の俳句の添削・批評をお願いします!

夏近し僕は立派な自閉症

作者 ケント  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

私達夫婦と娘夫婦にとってこの十数年は、孫の自閉症問題での闘いの連続でした。それは世間の偏見との闘いでもありました。私はかなり沢山その事を俳句として詠み、このサイトにも幾つか投句しております。

どんなふうでもぼくはぼく入学す

これは、孫が小学校に入学した時の句で、普通クラスに入る為に世間の偏見と闘ったことを詠んだ句です。
また、先日は、

蜂の巣や自閉症ではないけれど

を投句しました。
これは、蜂の巣(蜂の子)の様子と自閉症(特に引き籠り問題)を関連させて詠んだものです。
引き籠り問題と自閉スペクトラム症の関係は周知の事。
この句に対して、私はイサク氏より一方的な批判を受けました。「かなり偏見のある句」
「自閉症に対して無知」と。
確かに身内にそういう病の居る人にとっては敏感に反応する問題であることは理解出来ます。
しかし、私の句から何を読み、何を想像されたかは分かりませんが、立派な俳人らしからぬ、ただ感情に流された批判と受け止めました。
それは一旦置きます。
イサク氏に物申すことが目的ではありませんので。

本人の忍耐と努力の甲斐あって孫は現在、元気に高校に通っております。
周りの人の自閉症に対する理解が進んで来たのも有難いです。
でも薬は手離せません。
「自閉症」は、何も恥ずべき病ではありません。
孫は自分が「自閉症」であると自覚しながらも、それと向かい合い、世間の偏見にも負けずに立派に生きております。
私の誇りの孫です。

このサイトの皆様が「自閉症」についてどのようなご意見をお持ちなのか?
それが伺いたくて投句致しました。よろしくお願いします。

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 おかえさき

おはようございます、いつもお世話になります。
今回の件、私がしゃしゃり出ていいかと迷いました…概ね、概ねですが皆さんの意見に同意です。
ただ、ぼしゅんさんの病気ではないとの意見は違うと思うのですが?
実は、次女が小学校の特殊学級(発達障害とかのお子さんの)の支援員をやっています、今は流産の危険がある為休職しておりますが、
どんなに大変かいつも聞いていました!辞めようと思った事もあると…
子供が嫌いにもなった時期もあったと…その娘が今妊娠しています。
それはそれとして、この件についてですが、確かにイサクさんは端的に仰る方で(でも大体的を得てると、道場への責任感みたいなものもお持ちかと…)
援護してる訳ではないですが、ケントさんのお孫さんが自閉症と知らない上でのコメントだと思うのです。
そして、蜂の巣の句の字面だけ見れば誤解されかねないと思います。
でも、ケントさんはきっと深層心理で、ここの句友にお孫さんの事を知って欲しかったのではないでしょうか?
鬱の場合はどうですか?の質問については、誰でも鬱っぽくなる人はいると思うので許容範囲かと…
・蜂の巣や鬱とまでではないけれど
とか だったらどうでしょうか?
夏近しの句は応援句に取られますね!
結論ですが、せっかく多くの人口の中で出会ったここの人達…どうしてもそりが合わない人も居ると思いますが…人間皆不完全だからこの世で修行しているんだと思うのです、
仏陀は言われました!
「人を愛し、人を許し、人を生かせ」と …
偉そうな事を書きましたが、私も実行は出来ていません😓でも時々は思い出して自戒するようにしています。
長文になりましたが、お孫さんの未来を応援しています!

句の評価:
★★★★★

点数: 3

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

このスレッド、少し繊細なスレッドのように感じました。
人間100%同じ信条であるということはなかなか難しいことで、どんなコメントを書いても、そこは自分と考えが違うぞというところを見つけては揉めたりとかするような世界線に感じるからです。

げば自身も近親に障碍のある者が、とか、自分の仕事柄出会う人々のことや、自分自身の病気のことや、、とここでいろいろ語ることもできるかもしれませんが、この場所が自分語りの場所かどうかも分かりませんし、自分語りの発表を要求する場所かどうかも私にはわかりません。

ここからは俳句論ですが、
何を詠むのもNGがないのが俳句ではあると思う一方で、繊細なテーマを句にするときは、詠み手が思った通りのことが読み手に伝わるわけではない、鑑賞を相手に委ねるタイプの文芸である俳句には少し不向きであると感じるときもあります。
この道場に来て、すぐのころ、俳句に政治的信条を盛り込んだ句を詠んだときに、すぐになおじいさんにたしなめられました。「俳句は詩情を求めていかんとですな、げばさん」という言葉でした。「なんだとー、私の政治信条を(怒)」と思うこともできたのですが、私はなおじいさんの言葉になるほどそりゃそうだなあ。と感じました。読み手の心の湖に少し波立たせるような詩情という句とはかけ離れた政治信条の本位の句だと感じました。そんなことを言ってくれるなおじいさんに感謝もしました。
その後しばらく経って、「異教徒の碧き眼や渡り鳥」という句を詠んだこともありました。そのときも、なおじいさんから、「異教徒の碧き眼」のあたりの表現は大丈夫かい?初読ではどう受け取られるか?げばさんの力量なら詠みたい詩情をもう少しちがう形で届けられるのでは?と言ってくれました。そのときも、ハッとしました。なるほど、自分がこう思う!と思って詠んだ句が自分の手を離れたときに、ぜんぜん違うものとして伝わって、それが意図せず、誰かを傷つけたりすることもあるかもしれないということに気づいたからです。
いずれにしろ、俳句にはNGはないとはいえ、読み手にどう届くかを意識するようになりました。言葉は心の湖を波立たせるものであると同時に、人を悲しませたり傷つけたりする力もあると痛感したからです。

ケントさんの前の句、すぐにコメントにいけずすいませんでした。蜂という季語に私の鑑賞が追っつかず、ケントさんが思っていることとは全く違う句意で堂々めぐりしていたからです。読み手は自由に鑑賞するので、意図通り届かないといろんな思いする方がいるかも、と思って、そう書こうかどうかと迷っているうちに、イサクさんが先にコメントに行ってくれていました。イサクさんの言葉は時にストレートですが、他意のない方だと長い付き合いで私は思っています。私がここまで書いてきた俳句論的なことを言いたかったのではないかと勝手に推察しています。(ちがったらすいません)

誰が先に俳句以外の議論に踏み込んだということは抜きにして、ケントさんが俳句大好きで戻ってこられたのも知ってますし、ケントさんと今後も俳句のそして詩の話をたくさんしていけたらと思っています。

長々と書いてすいません。言葉には気をつけましたが、この文章を不特定多数の方が読んでいると思うので、私にも他意はない、ただ俳句が好きなだけだということをお詫びとして付け加えさせてくださいませ。
こういうときなおじいさんが常駐してるなら、、というところですが、今はお忙しいシーズンですので、若輩が失礼しました。よろしくお願いいたします。

点数: 9

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 慈雨

句の評価:
★★★★★

こんにちは。
ケントさんですので率直に書かせていただきますが、お許しを。

この投稿、「イサクさんに誤りを認めさせたい」という意思がひしひしと伝わってきて、あまりいい気分ではないです。
私としては、イサクさんの最初のコメントも丁寧さに欠けると感じましたが、それに対するケントさんのコメントは戦闘的すぎると思いました。
少なくとも「自閉症を揶揄するような句」だと感じた人がいる以上、それは作者として真摯に受け止めるべき事柄ではないでしょうか。

さて、自閉症は私も身近に関わりがありますが、ここでは割愛します。
私は「自閉症(を含む発達障害)をテーマに俳句を作る」こと自体が相当に難しいと感じています。理由は「誤解や偏見を助長する可能性がつきまとう」からです。

ケント様の「蜂の巣や自閉症ではないけれど」。
巣の個室に入っている蜂と、自閉症の引きこもりを関連させたとのこと。句の難解さを差し引いても、リスキーな句だと感じます。

釈迦に説法かとは承知ですが、自閉症=引きこもり、ではありません。
自閉症の主症状は「コミュニケーションの障害」と「特定行動への執着」。
その結果として対人関係につまづき、不登校や引きこもりなどの二次障害が生まれるという関係です。

しかしその知識を持たない人が御句を読んだ場合、「自閉症とは引きこもりになる病気なのか」と誤解する可能性があります(実際、「自閉症」という名称からそのように考えている人は決して少なくありません)。

これは大きな違いです。
本当は「自閉症に対する無理解や社会的支援の不足のせいで引きこもりになっている(周囲に責任がある)」のに、「〇〇くんが引きこもっているのは自閉症だからだ(周囲に責任はない)」と考えてしまうわけですから。

ご存知のように、現在の自閉症に対する援助は「治すこと」よりも「周囲の理解を促し、本人の特性に合った環境をつくること」に重点が置かれています。
なので、自閉症(その他の発達障害も含め)に関しては「誤解や偏見を取り除いていくこと」が大事な社会的課題となっています。

それを考えると、たとえ小さなサイトであっても世界中に発信されるネットですから、自閉症について述べる以上は正確に伝えてほしいと思いますが、それは17音の俳句には極めて不向きだと思います。

更に穿った見方をすれば、実はケントさんが自閉症児をいじめている人で、「なんか巣に籠ってる蜂を見てたらアイツ(自閉症児)を思い出すなぁ。今度からアイツのこと蜂って呼んで馬鹿にしてやろう」という句だと解釈することもできてしまいます。
これも、感情を直接書かない俳句では避けがたいことだと思います。

「自閉症児は劣った存在」「私達とは異質な存在」「自閉症は不幸なこと」「甘えているだけ」「親のしつけが原因」「普通に生活できないのだからコミュニティから排除しても仕方ない」など、自閉症・発達障害には様々な誤解や偏見が今も根強く存在します。
大袈裟かもしれませんが、俳句にすることでそれを助長するリスクは存在すると思います。

長々と、失礼なことをお書きして申し訳ありません。
ケントさんに悪意がないことは百も承知ですが、それでも尚、作者の意図とは違った受け取られ方をするのが俳句の常だと思うので、率直に書かせていただきました。

点数: 8

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 ぼしゅん

句の評価:
★★★★★

ケントさんこんにちは。
先日は拙句に添削とご提案ありがとうございました。

自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)」は、対人関係が苦手・強いこだわりといった特徴をもつ発達障害の一つですが、病気ではなく特性です。

そして、その特性ゆえに強いストレスやトラウマが引き金となって、精神的・肉体的な問題を抱えるケースが多いです。
いわゆる自閉スペクトラム症の二次障害として挙げられる鬱症状は病気にカテゴライズされます。

参考
https://www.smilenavigator.jp/asd/abc/

なので、自閉症は恥ずべき特性ではなく、また自閉症を起因とした鬱症状(それに伴う引きこもりなどの行動含めて)は恥ずべき病ではありません。

「ぼくはぼく」の句はお孫さんへの愛情とエールを感じます。
「蜂の巣」の句には憤りを覚えました。
自分の思いを俳句で相手に伝えるには俳句の腕を磨くこと以外無いと私は思います。

点数: 3

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 どきこ

句の評価:
★★★★★

こんにちは。

私ごときが意見など、、とは思いましたが、失礼します🙇‍♂️

私自身、対人関係がとても苦手で、コミュニティ障害でもあり、空気も読めない、神経質ですぐにパニックを起こすという、性格です😅

人とはなるべく穏便に済まそうとばかりしてしまいます。よくないですね😅

俳句は共感ありきだと思います。
自閉症の言葉のどの部分に人は共感するのか、その言葉が一人歩き、勝手に暴走しないのか、などを考えてしまいました。

自分のどうでも良い話ばかりですみません🙇
拙い言葉ですみません。スルーしてください。

ケント様の心が癒えますように、、

点数: 2

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

こんにちは。再訪です。諫めるだなんて、私の言葉は私一個人の意見ですから、間違っていることだらけです、何回も同じことを言ってすいません、違うと思うときは是非指摘してくださいね。私はこう思うなんて言うのも、私ってなんぼのもんじゃい?と思いながら書いてるものなので、ネット上に残していくのはとても怖いことではある、その中での発言です。ほんと若輩がすいません。

「鬱王」について、なるほど、そういう想いもありますよね。
「鬱王」についてもとてもセンシティブな言葉だなあ、リスキーな言葉だなと思うのは変わりありません。受け取る方によってはどう伝わるか。
自死文學などもそうですし、音楽でもそうですが、誘発というリスクもありますし、とてもセンシティブだと思います。アビーチーさんが症状のあるときに作った「HOPE THERES SOMEONE」という曲を聞いていても、言葉はわからないのに同じ状況にどんどん誘発されて引き込まれそうになります。あとで歌詞を見てやはりそういう歌だったかと思いました。リスキーではあると思います。

兜子自体轢死していますし、兜子の句を読んでいると惹きこまれていくことが逆に怖いと思う時もあります。
・大雷雨鬱王に会うあさの夢

だけでなく、
・神と医師いずれをえらぶ冬の窓
・帰り花鶴折るうちに折り殺す
・短日はさびし来る夜のおそろしき

実際私も同じような病を抱えているものとしては、こういう句はとても怖くなります。

ただ、一方で惹きこまれていくのは本人の苦しみを本人の言葉として詩に昇華しているからでしょうか。

それぞれにいろいろな状況や度合があるとは思いますが、私の近親者にも障碍のある者がいるという話をしましたね、彼は健脚で山登りが大好きで珈琲を入れるのが上手で、でも就職には大変苦労して自転車には乗れなくて、そして毎日にこにこ笑っていて。彼は自分の障碍のことをその障碍のことばとしては認識していません。彼自身は自分の状況をどういう言葉で表すでしょうか。その言葉にはとても関心がありますし、人の心を打つ詩のことばになるのかもしれないなと思ったりはします。ケントさんのお孫さんはどんな言葉で自分の状況を表すでしょうか。

きっと答えになっていませんね。またも長文失礼しました。

点数: 2

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 負乗

句の評価:
★★★★★

ケントさん、こんばんは🙂
お世話になります。
コメントお返し出来なくてすいません、でした😣💦⤵️

拙句、三段切れでした😅
「人に聞く」…では俳句に、なりませんよね。

お孫さんのこと、読ませて頂きました。

「孫は自分が「自閉症」であると自覚しながらも、それと向かい合い、世間の偏見にも負けずに立派に生きております。
私の誇りの孫です。」

何よりではないですか…😊
人も海の貝類と同じで、閉じたり、開いたり、するもんですよ。
お孫さんは、"閉じる"期間が、ただ長かっただけなのでは…(笑)

「僕」は、ケントさんご本人のことかと、読んでおりました。(年配のはずなのに、"僕"なんて…笑)

お孫さん、今や立派に生きておられるなら、「吾」でも、良いのでは…

「夏近し吾は立派な自閉症」

芸術的な才能が、お有りなのでは…
あるいは、勝れて霊的な資質が…

詩や俳句の才能が有るかも…ですね😉

また宜しくお願いします。

点数: 2

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「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 みつかづ

句の評価:
★★★★★

こんばんは。夜分に失礼します。
貴句、拝読しました。

以前の2句と一連のやりとりも拝見した上でのコメントです。
皆さんの意見にも一理同意できる所もあります。

しかしながら、私はグレーゾーンであり、且つ甥も当事者ですから、私は皆さんとは受け取りは真逆で、「ケントさんは、寧ろ私達当事者の背にソッと寄り添ってくださっている。励ましてくれている」と私は感じました。

夏は命が芽吹いて育つ季節であり、温かい季節です。
「その季節は近付いてるよ。私が付いてるから、見守っているから、二次障害辛いだろうけど、私と一緒にやっていこう」と。

メッセージ、しかと心に刻みました。

5月9日までの間は立て込んでいて忙しく、こちらに顔を出す事がなかなか叶いませんが、必ず戻って参りますので、今後ともよろしくお願い致します。

点数: 1

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添削対象の句『夏近し僕は立派な自閉症』 作者: ケント
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