「山寺のまのびの鐘や夕霞」の批評
竜子さん、おはようございます。
寒笛の句へのコメントありがとうございます。
そうなんですよ、私も『球追ふ子ら』と『ママの声』を”へ”で繋ぐか
”に”で繋ぐか投稿ぎりぎりまで推敲しておりました。
”へ”だと子供たちに対する声援ととれますよね。
”に”だと、声援の対象が少しボケるような気がします。
しかし、なぜ”に”を選んだのか?。
『球追ふ子ら』と『ママの声』を対比させたかったのです。
『一心に球を追ふ汚れのない子供たちの姿』その一方で
『我を忘れて自軍の勝利だけを願う大人の姿』その対比。
どちらが正解であったかは分かりません、私は文語と文法が
苦手で、自分の感覚だけで詠んじゃってますからねぇ(笑)。
さて、御句。
寺の鐘の音って、いつでも『ゴォ~~~ン』って間延びしてませんかねぇ。
連打したら半鐘になってしまいますものね(笑)。
なので折角ですが『まのびの』を割愛させて頂きます。
・山寺の鐘の音にも春霞
難しいと言われる『も』を使ってしまいました。
霞は視覚で感じるもの、山寺の鐘が霞んで見えることでしょう。
その一方で、霞は音には影響を与えませんよね。
しかし、その音が霞によって間延びしてしまったように聞こえる様だと
いう句意のつもりです。
でも、こうやって色々と推敲するのは楽しいことですね。
色々な方と議論出来たら楽しいですね(^^♪。
では、今後ともよろしくお願い致します。
添削のお礼として、めでかやさんの俳句の感想を書いてください >>
子供ころの事です。
ゴオ~~