「仕方なく百円投げた初詣」の批評
川奈部蒼大さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。友達の評価は良かったけれど、先生からは認めてもらえなかったとのこと。私はわかりますよ、お友達の気持ちも先生の気持ちも。
それは「感想=主観」が入っているからではないでしょうか。
実は昨夜、孫に頼まれて俳句を教えました。小学生ですから、ある程度自分の感想(主観)が入ってもいいだろう、その方が子供らしくていいだろうと思っていくつか提案しました。例:「お正月みんな集まり楽しいな」
するとダメ出しが来ました。「自分の感想が入ってはいけないの」と。
うわ、小学生から、もう客観描写を学ぶのか、と驚きました。
余談が、長くなりました。
御句は、「仕方なく」が感想です。お友達は、「ああ、あるある、オレもそうだよー!」とか共感されたかと思いますが、先生としては、情景を詠んで、「自分で仕方ないと言ってはダメだよ。状況を詠んで、人から、あ、これは仕方ないね、と思ってもらうのが俳句だよ」という意味だったのではないでしょうか。
・十円がなくて百円初詣
・百円玉しか小銭なき初詣
・友だちに合わせて百円初詣
・初詣彼女に言われ百円玉
こういうのだと、読んでくれた人が「あ、そりゃ仕方ないな」と思ってくれるような気がしますが、いかがでしょう?
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学校の俳句の授業で作りました。
友達からの評価は良かったのですが、先生からは認めてもらえませんでした。
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