「軽トラの轍の先の梨の花」の批評
回答者 感じ
再訪です。
頂いたコメント、私の読解不足でした。
「作者に軽トラは見えていない」と部分は取り消します。「見えいる」のですね。
しかし、提案句に変更はありません。
理由は「しかし、人によっては」以下であり、作者の視点と梨の花の存在位置が私としては気になるからです。
よろしくお願いします。
点数: 1
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作者 鳥越暁 投稿日
回答者 感じ
再訪です。
頂いたコメント、私の読解不足でした。
「作者に軽トラは見えていない」と部分は取り消します。「見えいる」のですね。
しかし、提案句に変更はありません。
理由は「しかし、人によっては」以下であり、作者の視点と梨の花の存在位置が私としては気になるからです。
よろしくお願いします。
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
鳥越さん、ごぶさたしています!!
御句。「の」の視線の誘導がいいですね。別の形の誘導で轍を少し描くのもありますね。
軽トラの轍まがりて梨の花
軽トラの轍の伸びて梨の花
点数: 4
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回答者 めでかや
すみません、再訪です。
代えてもいいのは最後の ”の” でなく3番目の ”の” でした。
失礼致しました。
点数: 2
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回答者 かこ
鳥越さん
おはようございます。
視線が移動できなくて、画がわからないです。
軽トラの轍の跡や桜散る
とかならわかりやすいですが、(もしかしたら私だけかもしれませんが)まず軽トラを映像化してしまって”轍の先”が映像化出来なくて、梨の花がどこにあるか全くわからない状況です。
点数: 2
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回答者 めでかや
おはようございます。
梨の花は桜に似ていて綺麗ですよね。
御句 ~の~の~の~の の使用は故意と思いますので
そのリズムを重要視したいのであればそのままで良いと思います。
一方で、あっ!、梨の花が咲いているというという発見、感嘆を
表したいのであれば最後の ”の” は ”に” に代えられるかも知れませんね。
どちらにしたらよいかは作者の意図次第と思いますが・・・。
今後ともよろしくお願い致します。
点数: 1
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回答者 こま爺
おはようございます。
土っぽい農村風景が目に浮かび、良い句だと思います。私も「の」の羅列が良いかどうかよく分かりませんが助動詞「なる(にある)」を使うのも手かと思います。
” 軽トラの轍先なる梨の花
よろしくお願いします。
点数: 1
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回答者 佐渡
鳥越暁さん!おはようございます。
いつもお世話になっております。
げばげばさんが良い提案されていますね。
勉強になります。
同じような提案ですが。
・軽トラの曲がりくねりて梨の花
二番煎じですが・・・
よろしくお願いいたします。
点数: 1
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回答者 感じ
こんばんは🌆お世話になっております。
御句について、詳しいコメントいただきました。
その上で思うところを。
・「軽トラの轍」
私は、作者には「軽トラ」が見えていると思っておりました。
そして「轍」とは「くるまなどが通った跡」です。
このあたり、私は「軽トラ」しか毎日通っておらず、その「轍」は「軽トラの轍」であると作者もわかっており、そして、句が詠まれた時点でも、「轍」はもう完全に形成されており、その先に「梨の花」があると解釈しました。
しかし、人によっては、「轍」は「車」の跡であり、つまり、「軽トラの前方に轍はなく」、その「跡」の先にある梨の花とは、作者はいかなる視点から、「梨の花」を見ているのかと思う読者もいるかと思います。そういうコメントもありましたが。
・確かに、作者にとって「軽トラ」は句意として重要な「措辞」とは思いますが、「実景」として「軽トラ」は見えてないですし。🤔
句意とはずれるかもしれませんが、
・山道に轍のありて梨の花
よろしくお願いします。
点数: 1
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