「こんなに頭かかえたことなし春」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。わかります。私もここに来たころ、1年半ぐらい前はそんなことばかり考えてました。もっといい句をよみたいよみたい。どうすればいいの?
まずは歳時記を見て季語を知る、そして、季語を実際に味わう。次に歳時記の例句を読んで鑑賞する、光景を思い浮かべたり調べを楽しんだり。まずはこれにつきます。季語はこれまでの蓄積があるので、これまで積み重ねられた意味本意というものがあります。例句を読むとそういうことにも気づけるようになってきます。
そして、日ごろのプチ感動を逃さない。これですね。感動については、「おおおおお!」という感動は少し分量が多すぎかもしれません。そういうのは二句に分けて詠めそう。「おっ!」くらいの些細な感動や発見の方が季語と合わさると詩になりやすい量だと思います。当たり前だなあと思うことも改めて気づくと面白い!ということってよくあります。
昨日NHK文芸選評で入選をいただいた拙句なんてまさに、
シーソーの影もシーソー日脚伸ぶ/押見げばげば
まさに、当たり前すぎることの発見だと思うのです。でも、シーソーって影もシーソーなんだなあと改めて思うこと。こういうことが俳句のおもしろみだと自分は思っています。そして、井上弘美先生が「単純なことだけれども目のつけどころがいい、こういう当たり前のおもしろみ、これが俳句の面白みなんだ」とおっしゃってくれてやっぱりそれでいいのだなと感じました。
そう考えると、日常のあらゆることが句材なんじゃないの?と思えるようになります。俳句をやるまでは気づかなかったことに改めて目がいくようになることばかりですし!毎日楽しくて豊かになりますよ!森本さん。
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うーんうーん、いい俳句、つくりたいよ、うーん