「秋の日に待っていろよと蜘蛛が飛ぶ」の批評
回答者 佐渡
めでかやさん!おはようございます。
いつもお世話になっております。
あくびのコメントありがとうございます。
大欠伸は以前にこの道場でヒントくれた方がおり、それを思い出して使いました。
これからもよろしくお願いします。
点数: 0
添削のお礼として、佐渡さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 めでかや 投稿日
回答者 佐渡
めでかやさん!おはようございます。
いつもお世話になっております。
あくびのコメントありがとうございます。
大欠伸は以前にこの道場でヒントくれた方がおり、それを思い出して使いました。
これからもよろしくお願いします。
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回答者 イサク
こんにちは。
先に「これって一年中そうだったよなぁなんて考えると、冬の情景としては多少の違和感を感じました」の件。
そもそも、「季節を感じるもの」については大抵季語になっています。
なので、俳句の季語以外の部分は「その言葉だけでは季節を感じるかどうか不明」が普通です。そこに季語を取り合わせたときに、句の全体で『俳句という季節を感じさせる詩』であるかどうか、かと思います。
作り手の腕も、受け手の鑑賞力も絡んでくるので、一概には言えませんが。
で御句。
さきになおじい・・ろう様から似たような話が出ていますが、
◆蜘蛛が何に対して「待っていろよ」と言っているのかわからない
◆それに対して「蜘蛛が飛ぶ」という動きが何を表しているのかわからない
という点が問題かと思います。
たとえば、蜘蛛が、獲物に対して『待っていろよ』と飛ぶように食らいついていく、という風に解釈できます。巣にひっかかった獲物かもしれませんし、ハエトリグモのように鋭い動きで獲物を自ら捕まえる蜘蛛もいますし。
で、いろいろ考えていたのですが、そもそも「蜘蛛が飛ぶ」ことを詩としてどのように描写するか・・・ですね。「待っていろよ」では詩というよりファンタジー小説のようです。
コメントのことを説明抜きで表現するのは、私には難しいようです。
それに加えて季語をどのように立たせるか、という点も。
季語「秋の日」なら「秋の日」でいいのですが、句の全体で秋の日を感じられるかどうか?
季重なり(っぽい使い方)に関しては、こんな句を見つけました。
師走はや小蜘蛛の糸の飛ぶことも/飯田龍太
句の主役は季語「師走」になっていると思います。蜘蛛は空を飛んでませんが、ご参考まで。
点数: 2
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回答者 葉月庵郁斗
再訪です
私のところでのげばげば様とのやりとり
気になさらなくていいですよ。
他人様のやりとりを見に行こうとしたら
いちいち訪れないといけませんから
逆に良かったですし私も勉強になりました。
点数: 2
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。
秋の日と蜘蛛の季重なり問題。私はまだ一度も季重なり句を詠んだことはありません。というか詠んで成功したことがありません。
主たる季語を立てていくということが高度すぎてなかなか難しい。
たとえばイサクさんがラジオで評価された
ほたるいかとる日は月の生まれた日/イサク
月のなき夜やおしあなの匂ひ立つ/イサク
はともに「月」と出てきますが、
私から見ると、「やば、うまっ!そりゃ大師匠って呼ばれるやろ!」です。大体ふつうこんなことをやろうとすると失敗します。
ほたるいかの句は、蛍烏賊が新月の日にたくさんとれる。むしろ月が出ているときには取れないのです。そんな蛍烏賊を収穫する日を「月がうまれた日」と表す詩。巧みに「ほたるいか」を主役にしながら、月のない(または月が生まれた日の)夜の空や風や海を見せてくれます、月明かりはないですが、ほたるいかは青く輝いて打ちあがることでしょう。平仮名と漢字の配合も絶妙。漢字が「日」「月」「日」しかないのも狙ってることでしょう。
おしあなの句も同様。今度は月がない夜と言ってのけました。おしあなは長崎付近の台風のような風。もちろん夜のおしあなは、月が出てるわけはない、当たり前のことだと思うんですよ。でも「月のなき夜」ということで、その不穏な夜を「月」という言葉を用いて表しています。そして、下五の「匂ひ立つ」で主たる季語の匂いを、不穏な夜の強い風の匂いをありありと読み手に届けてきます。
イサクさんすいません、勝手に語って。既発表句なので勝手に置かせてもらいました<(_ _)>
このように、季重なりって、巧みなバランスが必要で、超ウルトラC、みたいな技だよなあって私は認識しています。
あっ、だから、やめよーという意味ではありません。チャレンジは大歓迎です。でも、むずいですー、まずは、季語一個で「光景と詩が届いたよー」と言われることを私は今は目指しています。
長々と書きましたが、掲句。蜘蛛が主の句で、秋の日はどちらかというと「カレンダー上の日付設定舞台設定」みたいな印象にはなります。
中七の「待っていろよ」このあたりの口語や擬人については皆さんの意見に同意です。
いろいろ書きましたが、私も、イサクさんやなおじいさんはご存知ですが「こんなんどう?」「これはどうだ?」って変わった句ばかり詠んでみなを困らせて、そしていろいろ試しながら、俳句の基本というものを少しずつ知っていっていきました、というかその過程です。そして、始めたころの私は、俳句にない表現、現代的、こんなchallengeは!といろいろやってきましたが、1年4か月たったいま、
『平明な言葉で素直な言葉で肩の力を抜いて詠まれた俳句』がとにかく好きでとにかくカッコいいと思うようにもなってきています。不思議。
点数: 2
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回答者 佐渡
めでかやさん!こんにちは!
いつもお世話になっております。
蜘蛛は飛ぶんですよね。バルーニングというらしいですね。ネット調べました。
私は蜘蛛が糸を風に飛ばして遠くの木にひっかけて巣をつくる様子も見たことあります。生物の世界は人間には理解できないことたくさんあるんですね。
季語重なりの句に挑戦されたですね。私はまだまだやったことありません。
蜘蛛をカタカナ表示するか、秋の蜘蛛とする方法もあるかも?先輩方の意見を聞いて見ましょう。
提案句です。
・秋の蜘蛛風と電場を操りぬ
よろしくお願いいたします
点数: 1
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回答者 葉月庵郁斗
いつもありがとうございます
御句
季重なりが絶対にダメではありませんが
先のげばげば様の一年中の意見にも触れますが
いつもあるから弱いではないと思います
中七の口語調にインパクトがあるので
むしろ下五蜘蛛の方が強い印象があります。
擬人化もおっしゃってますが
季重なりや擬人化は
相当高度なテクニックがないと失敗します。
まずは基本の型からしっかり勉強なさるのを
おすすめします。
野良猫句コメントありがとうございました
たしかに野良猫はいつでも耳を立てましたね。
以前猫を飼っていた時
機嫌がいい時は耳がへにゃっと垂れていたのを
思い出しピンときました(笑)
またよろしくお願いします。
点数: 1
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回答者 負乗
めでやか様、こんばんは🙂
この、季語「秋の日」の必然性が分かりませんかね。俳句だから季語を入れねば…っぽい感じですくね。(私もよくやりますが…😅)
イサクさんのコメント、
"季語「秋の日」なら「秋の日」でいいのですが、句の全体で秋の日を感じられるかどうか?"
卓見だと思います。
初読では、意味が、分かりませんでしたね…
「待っていろよ」が、誰の言葉なのか…
すいません😅 よく分からん句でした。
スタイルとしては、私もよくやるタイプの句なので、しかし、意味が分からないとね…
点数: 1
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回答者 葉月庵郁斗
再々訪です。
私も俳句を始めた頃は
句の内容が無茶苦茶なのにリフレインや
オノマトペや韻を踏んでみたり擬人化したり
して先輩方にその都度ご指導頂きました。
でも必ずチャレンジは大歓迎と励まして下さいました。めでかや様は常に前向きで勉強熱心で
俳人として絶対に伸び方と信じて疑わないと
私は思いましたので基本からと提言させて
頂きました。
頑張って下さい👍️❤️
点数: 1
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回答者 なお
めでかやさん、こんにちは。
御句拝読しました。ご要望ですので、率直な意見を申し上げます。
私にはよくわかりませんし、よくわからない人は他にも少なくないと思います。
万人受けしなくていいということであれば別にそれはいいのですが、一応、私のわからない理由を申し上げます。
まず、「待っていろよ」これが一番かな。誰が誰に、何を待つように言っているのかわかりません。
次に、「蜘蛛が飛ぶ」。めだかやさんは蜘蛛も飛ぶとわかっていると思いますが、世の中の大多数は、そうは思っていません。逆に、じっと巣を広げて、飛んでくる獲物を待っている、そんな姿を思い浮かべます。
オリジナリティや、発想を飛ばすということは大いに必要と思いますし、御句を高く評価なさる方もいらっしゃるでしょう。
ですので、一つの意見としてお聞きください。
季語の重なりについては、すみませんが他の方にお願いします。
点数: 0
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回答者 佐渡
めでかやさん!こんばんは!
いつもお世話になっております。
御句
少し考えてみました。
動物の目でみるという俳句の作り方があります。
例句として
・鳥帰るところどころに寺の塔
御句を蜘蛛の目線で提案句です。
・蜘蛛飛べば下界はまさに雲の下
今の時期の季語とは離れますが・・・
世間は蜘蛛は空を飛ばないと思う人はほとんどでしょうが、蜘蛛は飛ぶとネットで見ましたが私は信じますよ。
それを俳句で詠むのは別はおかしいとは私は思いませんが、読み手にわかるように詠むこと大事ですね。
これからもよろしくお願いします
点数: 0
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
晩秋から初冬にかけて蜘蛛はお尻から糸をだし、上昇気流と共にて空高くにまで上昇し、羽がないにも関わらず「飛行して」移動するそうです。これはバルーニングと呼ばれるそうで最近の研究では空中電場を利用して飛んでいるという研究結果もあるそうです。この句は、秋の大空に挑む小さな蜘蛛も姿を詠んだ句になります。
本当は地元地方紙に投稿しようと思っていた句ですが、こちらでご意見頂いた方が
今後のためと思い、投稿した次第です。
悩みどころは季語についてです。
当然【冬の日】は季語ですよね。
そして【蜘蛛】夏の季語となっていますが蜘蛛は一年中いるし、季語にしては
弱いから良いのかと思って使ってみました。
そしたら次に、【蜘蛛が飛ぶ】が気になってきてしまいました。
初冬に多い行動らしいので季語として扱かうべきなのか。
私の中での結論は許される季重なりとの判断で投句致しましたが、
この辺の是非についてご意見を頂ければ幸いです。
(ついでに難しそうな擬人化の是非も気になっております)
以上、屈託のないご意見を頂けましたら幸いです、宜しくお願い致します。