「塔婆より飛び立つ鳥や秋の空」の批評
回答者 お七
げばげばさま
「太陽の塔」の添削どうもありがとうございました。類句など気にせず投句すれば良いというお言葉に勇気をいただきました。添削していただいた句はシンプルですっきりと気持ちがいい句に変わりました。感謝します。
御句の感想です。まさに秋の空に飛び立つ鳥が目の前にはっきりと見えるようです。勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
点数: 1
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作者 げばげば 投稿日
回答者 お七
げばげばさま
「太陽の塔」の添削どうもありがとうございました。類句など気にせず投句すれば良いというお言葉に勇気をいただきました。添削していただいた句はシンプルですっきりと気持ちがいい句に変わりました。感謝します。
御句の感想です。まさに秋の空に飛び立つ鳥が目の前にはっきりと見えるようです。勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
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回答者 イサク
おはようございます。
ベタベタですね、と思ったらコメントに在りました。
「空」だと付いているので「や」で切らない方がいいかもしれません。
とすると風景から入った方がいいかな・・・?
・秋の空飛び立つ鳥の塔婆より
季語変更の場合。
なぜか「鰯雲」だと気にならないのですが・・・?理由が説明できません。
「塔婆」「鳥」で、受け皿はあまり広くないですね。
・塔婆より飛び立つ鳥や鰯雲
・塔婆より飛び立つ鳥や秋日和
・塔婆より飛び立つ鳥や文化の日
点数: 2
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回答者 なお
こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。
拙句「良い子悪い子」(笑)に温かいコメント有難うございました。励みになります。
御句、いい句ですね。墓参りの句ですと一般に故人を偲ぶ心が前面に出ます。もちろんそれはそれでいいのですが、御句のように、墓参りの情景を詠むことによって、いつまでも故人を忘れずにいるという心情をそれとなく表すのも気持ちいいですね。
私は、全然ベタベタとは思いませんでしたよ。私がわかっていないからかもしれませんけど。
でも、「飛ぶ鳥が秋の空に舞い上がっていく…。」極めて自然で無理がなく、きれいな光景ですよね、それがベタというのなら、そうかもしれませんが…。
一方、そのようにつながりがとてもきれいですので、「や」が入ってしまわない方がいいのかな、とも思いました。イサクさんはこのことをおっしゃっていますね?
提案句としては、
・塔婆より鳥飛び立ちて秋の空
とかはいかがかなと思いましたが、原句のほうがいいです。失礼しました。
点数: 2
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回答者 はや
ベタベタと言われても、私は好きな句です。
鳥が空へ飛んでいくなら「や」でカットを変える必要はないのかも?と思いました。鳥が見えなくなるまで目で追ったあとの、ぽっかりとした空を描いているのでしょうか?
初読では鳩くらいの大きさの鳥が空へ飛んでいくのをイメージしましたが、雀くらいの小鳥だとしたら、パッと飛んで茂みの中に消えていって、そのあとに見上げた空とも読めるかも。そしたら「や」で切るのかもしれませんね。
なおじいさんの提案句と、イサクさんの鰯雲がいいなあと思いました。
点数: 1
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回答者 卯筒
色変えぬ松の句の添削ありがとうございます。
緋や黄の季の言葉を思いついたときやったーと思ってしまいました。
季語を工夫すれば良かったのですがしっくりきすぎてそこで思考が止まりました。
季語を再度歳時記を見て詠みなおしてみます。
塔婆より飛び立つ鳥の表現はとても秋の儚さを表していて勉強になります。
点数: 1
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回答者 よし造
拙句・・好意的鑑賞ありがとうございました。
俳句ポストは並選ですから駄目ですね。お互いに佳作以上を狙いたいものです。げばげばさんの俳句の方が、ポストに合っている感じがします。
御句・・塔婆というマイナスと秋空というプラスで構成されているので俳句と思います。ただ、墓好きの私に言わせると塔婆から鳥が飛び立つということは考えられません。多分塔婆が立つている墓裏あたりから飛んだと思いますが、塔婆よりという措辞だと塔婆に鳥がとまっていたと思ってしまいます。誤解でしょうか。
掲句は上五が気に入りませんが一応置いておきます。
塔婆にとまっていた鳥が飛んだと思ってしまいます。間違っているかもしれませんが。
点数: 1
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回答者 知世
「面皰」の句は何となく少年をイメージしていましたが、少女だと思うとまた印象が違う気も。
これも何となく俳句は一人称視点?で読んでしまいがちですが、別に主役は自分でなくても良いんですよね。
私の「時効」の句もいかにも一人称っぽいですが自分のことを詠んだつもりはないですし。
『男色大鑑』私は現代語訳で読みました。
女性嫌悪の美少年好きが美徳とされていたり(ストイックさではないんですよね〜)現代人からすると大分価値観にずれがあるので手放しにおすすめはできないのですが、面白さはありました。
こちらの句は「塔婆」と「鳥」の取り合わせが良いですね!
私の大好きな句、中村苑子さんの「わが墓を止り木とせよ春の鳥」を思い出しました。
春の鳥は「止まる」イメージですが、秋の鳥は飛び立つのが似合いますね。
私もよし造様のように「塔婆に止まっていた鳥が飛び立つ」と読んでいたのですが、実景としてはありえないのでしょうか。
「塔婆」面白いから残したいなあと思うのですが。
「秋の空」がベタというのは分かるのですが、「鰯雲」だと私はイメージが変わりすぎてしまうように思います。
塔婆より飛び立つ鳥や秋の朝
季語を変えるなら極力光景のないものが良いなあと思ったのですが、やはり「秋の空」の方が良いですね。
点数: 1
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先日秋彼岸に葉巻好き叔父の墓へ行ったときの景です。
空と鳥はベタベタですが、綺麗な光景だったので、置かせてください。
みなさんご意見をよろしくお願いします。