「花野へといそぐ花野にまにあふやう」の批評
回答者 お七
イサクさま
こんばんは。
太陽の塔の句の添削ありがとうございました。視線の順を念頭に置くことが大事だとイサクさんの添削で知りました。丁寧かつわかりやすいアドバイス、大変勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
御句の感想です。繰り返しの言葉が効いているワクワクするような句です。文語体もこの句に合っていますね。惚れ惚れするようなきれいな句です。
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作者 イサク 投稿日
回答者 お七
イサクさま
こんばんは。
太陽の塔の句の添削ありがとうございました。視線の順を念頭に置くことが大事だとイサクさんの添削で知りました。丁寧かつわかりやすいアドバイス、大変勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
御句の感想です。繰り返しの言葉が効いているワクワクするような句です。文語体もこの句に合っていますね。惚れ惚れするようなきれいな句です。
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回答者 はや
以前イサクさんが「花野といえば高原にある広い場所のイメージ」というようなことをどなたかのコメントに残していたと思うので、そのイメージで読みました。
「いそぐ」「まにあふやう」は、詠み手の思い描く花野、理想としている花野のイメージに向かう思いなのかなと思いました。時期、時間帯、天候のほか、ほかの観光客に入り込んでほしくない、自分だけで静かにあの花野を満喫したい、というような。そこが大好きな大切な場所であり、花野への思い入れが感じられる句だなあと思いました。
一点だけ質問です。
この句では花野に詠み手はいないと思うのですが、季語としてありですか?
というのは自分でも「花野に行く」という句を作ろうとして、あれ?これから行くなら花野は目の前にないし季語としてダメなんだっけ…?と思ったことがあり。
あっ、つまりこれは「敢えて」ってことですか?目の前になくても花野への強い思いはすごく感じますし。
頓珍漢な質問ならごめんなさい。
「花野道…」の添削ありがとうございました。
両脇に花が咲き乱れる道をわーっと通り抜けていくイメージで「びゆんびゆん」だったのですが、あくまで思い出の中のイメージだけで詠んでいたかもしれません。
いつもズバッと指摘してくださりありがとうございます。季語が、季語が、と毎回のように指摘していただいているのになかなかうまくいかず。勉強になります!と言いつつ全然身についてないですね…。
なかなか成長できていませんが、引き続きよろしくお願いいたします。
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも的確なコメントありがとうございます。
奈良漬の句、コメントありがとうございます。
文法的に失敗ですかねー。連体形でつないで、「かな」の流れで作ったのですが、これは中七で切れてしまいそうですね、なるほど。そうなると「かな」はアウトですね。
「かわく」にこだわって失敗しそう。
「奈良漬の乾いた音を聞くたびに秋思が増す」という感じの句意で行きたかったんですよね。
奈良漬の噛む音聞きてなほ秋思 くらいなのかなー。うーむ、「かな」構文と「かわく」ではまってしまった。
御句、某サイトも終わったので、のびのび「花野」ですね。
前の花野は「秋の花が咲いた野という場所」、後の花野は「秋の花が美しく咲く時期」という意味なのでしょうか。その時期にまにあうよう急げ!みたいな。
花野という言葉を使って、花野に早く会わなければ、花野であるうちに会わなけれな、みたいな俳句的な視点、とても興味深いです(^▽^)/
いつも的確なコメントありがとうございます。
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回答者 なおじい
こんにちは。イサク様、いつもお世話になってます。
拙句「キバナコスモス」「小山なる古墳」コメントおよびご提案有難うございました。特にキバナのほうの季語の点については、勉強になりました!
さて御句。平易な言葉を平易に繋いでおられますが、解釈は結構難しいです。私は、花野とは、何かとてもきれいなモノ・コトの最高の状態を表していると思いました。そうした美しいものも、時期が過ぎるとそうでなくなるので、美しいうちに会いに行こう、という意味だと思いました。
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回答者 知世
いつもお世話になっております。
う〜ん、またしても「花野=異界に立つ母というイメージは恐ろしかろう」という自分の中だけの了解に従って句を作ってしまいました。
イメージとしては、げばげば様やはや様にコメントいただいたことが近いのですが。
良くないですね〜反省です。
さてこちらの句、私も解釈に悩んでしまいました。
単純に考えれば「花野が枯野になってしまう前にぜひ見たい!」という句?
はや様のコメントの「花野といえば高原にある広い場所のイメージ」を見て、じゃあ「登山中、日が暮れる前に目的の花野が見たい!」という句かなとも。
私の中では花野というと「武蔵野図」のようなどこまでも続く平野のイメージだったのでこれはあまりピンと来なかったのですが…。
あるいは何かの象徴としての花野?「最後に一花」のような。
でもそれはイサク様にしては漠然とし過ぎてますね。
ぜひ正解が知りたいところです。
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回答者 よし造
拙句・・読み込んで下さってありがとうございます。自句でもそんなに深く読みませんので。
御句・・花野に憧れて急かされる気持ちをうまく詠んだと思います。動かない花野に、まにあふようにという措辞の面白さですね。リフレインも効いています。
ところで一つ教えて貰いたいのですが。私は、発表があるまでは、投句した句を他に投句することは二重投句という解釈をしていたのですが、締め切り以降は、投句しても二重投句にならないのですか。実は、この道場に投句されたまったく同じ句があるネット句会に出ていたので、ルール違反ではと心の内で思っていたので、質問させていただきました。お願いします。
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回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
この句良いですね。花野はいつか花野でなくなってしまう、そうなる前に急げという句と解釈しました。
花野に限らず、仕事や勉強にも期限がありますし、大切な人と過ごす時間だって有限です。大局的に考えれば自分の命にも期限はあります。
人生を過ごす中、我々は色々な「期限」と向き合っている。そういう事を思いました。
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回答者 げばげば
再登場失礼します。
まさに、おっしゃる通りですね。
「わからないもの同士をがんばって取り合わせている」という。
というか、取り合わせになっていないという。釈迦が歩いた花野ですもんね。取り合わせではない。「秋思」もそうなんだなー。だとすると、違うものを合わせて、という取り合わせが、季語を説明するためのもう片方になってるんだなー、なるほど、指摘されてわかりましたね。なるほど、なるほど。季語を説明しようとしてるんだなー。
わかりました、腑に落ちました。最近、何かを読むときに、その取り合わせの原点を忘れて、思考してたように思います。
とりあえず、類想や只事ということは置いておいて、まずは感じたこと詠むということに立ち返ってみようと思います(*'▽')いつもありがとうございます!
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回答者 よし造
お忙しいところ二重投句の件、ありがとうございました。ゆるやかに受け取っているのですね。私は、「既発表句、可」と明示していない限りは、暗黙のルールとして未発表句のみ投句可と思っていました。ちなみに見落としているかもしれませんが、松山ポストは、既発表・未発表の規定がないような。
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回答者 はや
「無花果や…」の添削ありがとうございました。
提案句すてきですね。無花果の中っておもしろいなあと見入ってる様子が伝わります。
一物の句について分かりやすく解説してくださりありがたいです。どこに「詩」を置くかという思考がすっぽり抜けていたんですね。
また季語についての回答もありがとうございました。 どう思ったか、それが答え。しっかり頭に叩き込んでおきます。
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
二重投句の心配がなくなったので蔵出しで兼題。