「一坪のキバナコスモス花野なり」の批評
回答者 ダック
なおじい様
こんにちは。「洗濯の。。」にコメント頂き有り難うございました。
私の句を批判台として見て頂けるのは大変光栄なことです。私自身このサイトでご指摘頂けることがどれだけ役立っているのかしれません。説明的、時間、季語(の力)等々いろいろありますが、まだ助詞の使い方は分かっていません。少しでも、どんなことでもご指摘頂ければと思います。
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作者 なお 投稿日
回答者 ダック
なおじい様
こんにちは。「洗濯の。。」にコメント頂き有り難うございました。
私の句を批判台として見て頂けるのは大変光栄なことです。私自身このサイトでご指摘頂けることがどれだけ役立っているのかしれません。説明的、時間、季語(の力)等々いろいろありますが、まだ助詞の使い方は分かっていません。少しでも、どんなことでもご指摘頂ければと思います。
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回答者 イサク
こんにちは。
季重なりがダメと言われる理由は「俳句は主役が多いと焦点がぼやける。季語は主役級だから」です。
「物(動物・植物含む)の季語」は、単なるモノ(動物・植物)として扱えば季重なりでも生かしやすいと言われております。その代わり、季語が明らかである必要があると思います。
御句はその条件を満たしていると思います。
この句は「キバナコスモスの群生」という事実によって「この一坪は花野だ」と認識した、という俳句ですね。
主となる季語は「花野」。
「キバナコスモス」は季語を生かすための「花の種類」なので、季重なりは気になりません。
なおじい様的にはたまたまこうなった形のようなのでアレですが、狙ってこれができるよのであれば、平伏して句を教えていただきますので・・・
点数: 1
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも温かいコメントありがとうございます(*'▽')
御句、コスモスと花野でかぶったーと思ったのですが、イサクさんのコメントを見ると、うまく花野を主たる季語に立てればOKなんですね、そして、それを狙ってやれるならスゴイことなんだって、私には怖くてなかなかできません(^▽^)/
コメント込みででいろいろ学ばせていただきました。
しかし、一坪のキバナコスモスだけど、それを花野とする!なんて、なかなかいいですね。「なり」のなおじいさんの主張が面白かったです。これが「花野」だ!っていうね。
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回答者 はや
感動が伝わるいい句だと思います。
皆様の句を見ているとイメージする「花野」って人によって様々なんだなあと思います。場所、広さ、花の種類、いろいろ。これが花野!という詠み手の思いが伝わればいいのかなあと。
キバナコスモスを入れたことで具体的な映像が浮かぶので、返ってよかったのではないかと思います。
「鳥渡る…」「水澄むや…」「花野道…」の添削ありがとうございました。
「水澄むや…」では私も推敲過程で池に靴を投げ込んでました(笑)
「花野道…」では「自転車」を入れない提案に目から鱗でした。そこまで考えられませんでした。勉強になります。
いつもあたたかく励ましていただいてありがとうございます。ただ句風が確立…と言うよりは、子どもや身近なもののことしか詠めないというのが正直なところです。皆様のようにもっと広い世界を詠んでみたいという憧れと、「こんなに子どものことが詠めるのは今だけかもしれない」という思いの間で揺れております。
とりあえず自分が表現したいことがきちんと伝えられるように、できるところからやっていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
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回答者 三月幸暁
こんにちは。
拙句へのコメントありがとうございました。私は視野に広がる一面の花を実際に見た経験が無く、季語から直結するものが小規模の草花のイメージで固定されていたのでなおじいさんのコメントは新鮮に感じられました。
御句、「花野である」ときっぱりと断定することで咲き乱れるキバナコスモスに強く感動した様子が伝わります。素敵な句ですね。
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回答者 長谷機械児
なおじいさん、「富士はふぢ色」「跨線橋」句の批評ありがとうございます。
ひらがな表記にするか、漢字表記にするか、画一的にこれと決めている基準はないです。「富士はふぢ色」に関しては、一目見たときに「藤」の字が目に入るのを回避した、というところです。季語「秋夕焼」より先に「藤」が目に入ると混乱とまでは行かずとも、煩雑に感じるかと。
御句について。
・お題「花野」で考えるに当たり、似たような情景を考えていたところでした。御句のように「花野なり」とは言い切らず、花野と言うには半端な存在感といった句意で考えていたのでしたが。一坪でも「花野なり」と言い切れるキバナコスモスに、よほど旺盛な生命力が感じられたのだろうと思います。
・「キバナコスモス」は季語なのでしょうか? 手元にある2種類と、ちょくちょくお世話になっているWebの歳時記「きごさい歳時記」、あと、Amazonの読み放題サービスで入手した電子版1種類にも当たってみましたが収録されていませんでした。季重なりは気にしなくていいように思います。
・どちらかというと、「キバナコスモス」という表記、生物学の書籍か図鑑のようなカタカナ表記が気になりました。「黄花コスモス」としたほうがよいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
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こんにちは。前句「夏好きの男」に沢山のコメント・ご提案句を有難うございました。夏好きの男とは私のこととピンと来た方にはスッと入る句だと思いますが、一般の方々にはそんなことわかりません。私に甘えがありました。反省してます。
本句ですが、私は、それなりの広さがないと「花野」とは言えないと思っていました。そのため、三月さんの「いつからか駅前の寿司屋も花野」という句に、「寿司屋が立ち退いた跡地くらいでは花野とは言えない」などと偉そうなコメントを置いてしまいました。
ところが昨日、とあるところで見た、狭い土地に咲き乱れるキバナコスモス。感動しました。たった一坪でも、花がこぼれんばかりに咲いていて心を動かされるようであれば、少なくてもその人には花野なのだ。広さなどに関係なく、と思い至りました。三月さん、ごめんなさい。
皆さんご意見よろしくお願いします。