「身に入むや洋窓のレフアラの和音」の批評
『月傾く』の句のコメントありがとうございます!
月に向かって胡座かいて頬杖ついたら、誰でもなんかかっこよく見えるっしょ!っていう乗りではありますが、個人的に「月」という季語
は、女性的な視点では母性を、男性的な視点では知性を与えてくれる印象があります。
さて、本句ですが、私の読みは以下のとおりです。
昔金持ちだったけど、リーマンショックかなんかの時代背景で何もかも失った。
昔住んでた自分の一戸建ての洋館の前でピアノの音を聞いて、今の時代で成功している人がいることを実感する。
そして、今と昔のについて憂いている。
「身に沁む」使いたいですよねー。
私も何度か挑戦してますが、ちょっと季語の本意を使うのは難しくて失敗してます^^;
この季語は「一瞬」とか「一人」の悲哀では使いこなすのが難しいと私は結論づけました。
そして、全然私の読みは意図通りだとは思いませんが、仮にこの読みが正しかったとしても、もうちょっとその時代背景が具体的じゃないといけないんじゃないかなって思います。
「身に沁む」に関しては、季語と他の状況・情景の因果関係がもう少し具体的な句が多かったです。
私なりの解釈だと、「身に沁む」理由が想定できるというのが季語を立てるということにつながるからだと思いました。
まぁ。これも私ならこう読んじゃうっていう話ですけど。
たとえば、具体的な曲に「身に沁む」となったら、その作曲者の背景とか曲の時代背景とかそういうものに焦点をあてて読んでしまいます。
他の例でいうと、『洋窓』に「身に沁む」となったら文明開化に憂いているみたいな?
結構、壮大じゃないと成り立つのが難しい季語だと思います。
添削のお礼として、幸福来々さんの俳句の感想を書いてください >>
兼題月は十分詠んだので、通常モードに。
秋になると、こういう一つ一つが耳に残るようになる。秋のピアノの音だけでは類想感が強いので、マイナー音階で少しは、、。直球の句。
みなさんご意見よろしくお願いします。