大方は済ませ余生に秋刀魚など
回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
コメントにある叔母の姿は句からは少しも見えませんが、「私自身の余生」の句として読む分には、出来ていると思います。
「焼く」「匂い」「まとう」この辺りはもう少し推敲が要ると思います。秋刀魚を焼いている時点で匂いが立っているのは当たり前ですし、「焼く」「まとう」と動詞が続くのも忙しい感じがします。
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作者 げばげば 投稿日
回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
コメントにある叔母の姿は句からは少しも見えませんが、「私自身の余生」の句として読む分には、出来ていると思います。
「焼く」「匂い」「まとう」この辺りはもう少し推敲が要ると思います。秋刀魚を焼いている時点で匂いが立っているのは当たり前ですし、「焼く」「まとう」と動詞が続くのも忙しい感じがします。
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回答者 幸福来々
『秋思』の句のコメントありがとうございます!
同じ部活に幸子という同級生がいて、20で結婚するといって招待状きたんですが、私は彼女の学生時代の恋愛事情をいろいろ知っててメンヘラでした。
なので、「絶対離婚する。離婚式があったらいったるわ。」といってたら、1年くらいで離婚してました。
同窓会であったとき、私は大爆笑してやりましたけw
ちなみに、私もメンヘラです。
さて、本句ですが、コメント読んでみて強かな女性なのではないかと私は思いました。
これだと叔母さんすぐ死んでしましそうなか弱そうな気がします^^;
もし、これを前提としするならば、私なら以下のように詠みます。
焼く秋刀魚の煙の太し叔母傘寿
か弱く感じてしまう理由は、『秋刀魚焼く』すなわち『余生』のように読めてしまうためです。
ですので、『余生』を活かすとすると『余生』の中の一つとして『秋刀魚焼く』行為があるとした方が、長生きしそうだなと思いますが、すみません。思いつきません。。。orz
あと、単純に『秋刀魚』を美味しそうにするのに、この出来事をそのまま書くと、叔母さんはこのあと『秋刀魚』を美味しくいただくのだろうと想像できると思います。
首に挟む甥との受話器秋刀魚焼く
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回答者 よし造
秋刀魚と匂い、煙はベタ、また匂いと纏うはベタ。なので、月をつかむげばさんなら、匂いも感じられるのでは?生意気言ってすみません。
なお、この句は作者の余生と受け取られます。これは避けた方がよいと思います。
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回答者 イサク
おはようございます。
◆「にほひ」に何か(古語の「にほふ」の意味など)を載せているかもしれませんが、この句ではもう「秋刀魚を焼く匂い」になってしまって・・・。よし造様の言うとおり、匂いと纏うはベタですね。
◆せっかくの季語を含む「秋刀魚焼く」の描写を、「匂い」とわざわざ付けて特化してしまって・・・匂い以外の「秋刀魚」がどこかへ行ってしまっています。
この句は「余生」との二物なので、「秋刀魚焼く」で「焼いて皮目が縮れていく」「脂と煙」「音」「匂い」などを網羅させればよいのでは・・・
自分自身が秋刀魚を焼いていて「匂い」を強く感じて描写する一物句ならば、そういう作り方もあろうと思いますが。
◆「余生」というこの言葉、自分自身以外に使うのは危険ではないでしょうか?本人は余生と思っていないかもしれませんし、たとえそういう発言があっても他人の現状を「余生」扱いするのは・・・(元気な両親や祖父母に自虐的に使うことはできるかも、です)
◆とここまで書いて、自分を主役に、自分の余生を空想的に詠んだ句に仕立てたのかも?という可能性も考えました。ただそれと仮定すると、自分がしている「秋刀魚焼く」の描写と「余生」への繋がりと、いろいろ曖昧ではないかと思い、コメントどおり「叔母様のこと」と捉えます。
コメントにある「いろいろ思うところあるし、一句ではまとまらないけど」まさにこの状態でしょうか。
一句でいろいろ出すのは難しいので、「元気な叔母」「一人暮らしの叔母」「尊敬する叔母」、ネガティブ面では「説教してくる叔母」「病気を患った叔母」だったり、何かひとつを見つけてそこに季語の力を借りて描写していく、ということでいかがでしょう?
よし造様のスマホのアイデアは「匂い」に加えて「秋刀魚を焼く音」「会話の中の『秋刀魚』という単語」「秋刀魚を焼く画像」などの想像ができます。秋刀魚焼く動画をスマホで見ているみたいになるので、もう一工夫要りますけれども。
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回答者 たんせき
げばさん。
お仕事でお疲れのところ、時間を割いてのアドバイス、本当にありがとうございます。げばさんの仰るとおり、皆さんが親身になって、拙い作品であっても受け止めてくださること。感謝、感謝です。
添削道場、素晴らしいアブリですね。
これからもよろしくお願いいたします。
今回は取り合わせについて、大変勉強になりました。ついつい季重なり的な俳句になってしまい。広がりがなく、それが発想の乏しさなんだろうと思います。取り合わせの効果について、よくわかるご説明に感謝です。次は取り合わせに挑戦したいと思います。これからよろしくお願いします。
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回答者 なお
こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。
拙句「駐在のサンマ」ご評価ご添削有難うございました。夢の中の季語の問題以前に「駐在」が問題でした(笑)。
げばさんは毎回、どなたに対しても丁寧でわかりやすいコメントを置かれていて、見習うところ大です。
御句、初読では、「げばさん、何を年寄りじみたことを言ってるの?まだ若いのに余生がどうとか。一生サンマを焼いて暮らしていくみたいな…。どうしちゃったの?」と思ってコメント拝読。叔母さまのことですか。
「にほひ」「まとふ」については他の方がおっしゃってますので私は控えますね。
「余生」。この語で思いだすのは、知世さんの「花の無き生を余生と花曰く」です。私はこの句に接した時に、知世さんのことを心底すごいと思いましたが、このように、余生とは、人生のうちのもはや終わった「余り物」なのですね。ですので、自分にはいいですが、他の方にお使いになるのは配慮なさったほうがいいと思いました。
提案句は、イサクさんが思いきりベタな句を揚げておられますが、正直、そこに集約されているようにも思います。
しかしそれで終えては悔しいので(笑)、私も上掲のようなものを置かせていただきました。
しかし、お一人暮らしのご親戚がいらっしゃると心配ですね。私も少し前まで伯母が一人暮らしでしたのでお察しします。ああ、でも、伯母は施設の一人部屋だからあれは一人暮らしではないのかな?叔母さまはそういうところも安心ですよ。立ち行ったことですが…。
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回答者 負乗
げばげばさん、いつも素早いコメントありがとうございます😊
「人の腹〜焼く秋刀魚」の句、お褒め?頂き嬉しいです。まあ、たわいのない句ですが…
「針の穴〜」も、手元にあった暦の言葉をくっ付けただけです。😁
しかし、「駱駝が針の穴を通る…」というのは、「新訳聖書」のキリストの言葉なんです😆 (クリスチャンではないけど…)
しかし、尻取り俳句、何か分からんけど楽しいですね…😉
さて、御句ですが、ここは「叔母」を入れた方が良いと思いました。本人のことと誤読されますからね。
私の「手直し」句は、ちよっと平凡になりましたが…
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回答者 卓鐘
なおじいさんのコメントにも書きましたが、げばさんの句も隙がほとんどないので、鑑賞・きになる点を自分の中で整理するのに時間がかかってしまいます。
本句、「余生」はやはり自分のことと読むのが自然なので、コメントの叔母のことは無視してあくまで自分の余生の句だと言うこと前提にコメントします。
にほひをまとふは、名詞 + その名詞によく使われる動詞 のパターンであることは既出の通りとして(捨て石としてならOK)、秋刀魚を焼くにほひを纏っていることが余生であるのはあまりに、秋だけで死にそうな予感がありますね。
秋刀魚焼くにほひまとひたる余生かな
幾分継続した感じはします。けど継続しちゃってもただ臭い人かw
年取ると秋刀魚を焼く煙にも動じることもなくなるだろうと言う提案句
秋刀魚と余生の取り合わせは、悪くないと思うけど。。。
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回答者 すかんぽ
ゲバげばさん
いつもありがとうございます。
いろんな方へのコメント(私的にはどんなに長くても結構です。
本を読むより、実例付きなので、分かりやすいです。)
読ませていただいて、勉強させていただいております。
げばげばさんは、博学で、俳句にも熱心に取り組んでおられるようで、感心しております。
これからもご指導よろしくお願いします。
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回答者 卯筒
初秋刀魚の句の添削ありがとうございます。
ぴんしゃんとはオリジナルです
ぴんとしてしゃんとしている様子でぴんしゃんとが浮かびました。
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回答者 知世
いつもお世話になっております。
秋刀魚の句にコメントありがとうございます。
前提に無理があったのかあまり上手くいかない句でしたが、鬼のことをあれこれ考えていただき嬉しいです^_^
無神論者(投句ではひっそり漢字間違えてます)どうして取り囲まれてるんでしょうねえ。
最初は「取り囲め」で攻撃的なイメージだったのですが、別に無神論者と対立してないしな〜とあんな感じに。
しりとりはどこで区切るのか、選句があるのか分かりませんが、一区切りついたら改めて読み返してみたいですね。
げば様サラリと投稿されてる句がいい感じで流れてしまうのは勿体無い。
こちらのは私にも似た親族がいるので味わい深く鑑賞させていただきました。
「余生」の語もなんですが、秋刀魚焼くって何故か郷愁というか切なさを内包していて、句からもそうした寂しい印象を受けました。
でもそれだけではあるまいと思ってしまうのは食事の持つ生のイメージと、高齢女性は大方強かなものであるという勝手なイメージのせいでしょうか。
これがおじさんの句だったら、というかコメントを読まなければ、まさに秋の憂!というわびさび句として鑑賞したと思います。
秋刀魚焼く今憂ひなき余生かな
そんなちょっと明るい余生をイメージして。
でも「にほひをまとふ」削っちゃダメだな〜。
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
兼題「さんま」で詠もう。
新聞配達で出てきた叔母は早くに夫を亡くし娘二人を嫁に出し一人団地暮らし。先日電話したら今秋刀魚焼いてるって話してた、80近い叔母。いろいろ思うところあるし、一句ではまとまらないけど、秋刀魚に絞って。
みなさんご意見をよろしくお願いします。