「アクアリウムの藻に住む虫の音に泣けり」の批評
回答者 74
こんばんは。いつもお世話になっております。
われからチャレンジの難易度ベリーハードといったところでしょうか。すごい!
われからが鳴く(泣く)のはどのような場面でしょうか?調べられた限りの想像ですが、発端は海藻と一緒に食べちゃった「我から音がカラとする」ようなことではないかな?と思いました。われからそのものは動くときはシャクトリムシのように動くそうですから、そのささやかなぽきぽきカラカラのような音かもしれません。必要ないからお腹を退化させたそうなので間違っても蝉のようには鳴かないでしょう。
というのを前提として、「アクアリウムの」で始まる御句はファインディング・ニモのような世界観を想像しました。詠手はたぶん何かしらの方法で変身して同じ水槽の中にいて、われからと一緒に泣いている…という想像をしている、孤独な雰囲気を読み取りました。詠手はわれからに共感して閉塞感や孤独感を抱いてるに違いない!と読者は妄想できますねー言葉選びが秀逸ですね。
「泣けり」の是非の問題はどうなのでしょう。「けり」は過去から変わらないことへの発見の詠嘆…とだけ覚えているのですが、動詞へくっつくとその強調だけになるのでしょうか。季語の一部をアレンジして強調する形になるわけですよね…「泣くや」の方が誰でもすんなり読めるのかな、と思います。
余談ですが、海の中では魚の中でイジメは観測できてないようですが、水槽の中だと観測できるようですね。母数が違うだけか世界の広さが関係するのか気になる所です。
げばげばさんのチャレンジ精神旺盛な活動になるだけ着いていきますのでよろしくお願いします。
点数: 1
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知世さんからの兼題「われから」
「われから」と書かずに、同じ「藻に住む虫の音に泣く」という11音の長い季語の方にチャレンジ。
我が家には水槽はありません。夜中真っ暗な部屋にアクアリウムの明かりだけで餌をあげている人をテレビとかで見るけど、そういうのってなんかそれなりに落ち着くんだろうなー。
そして、もしそんな私が夜中一人アクアリウムの前で涙を流してたとしたら「われから~」という鳴き声が聞こえたからなんだろうなというところに飛んだ句。上五「水槽の」でもよかったけど何か思い描いてるイメージと違うくて「アクアリウムの」になり上七。ブラックライト・ネオンライトの感じ。都会の孤独。
みなさんご意見よろしくお願いします。