「秋の池波紋の底の底に閑」の批評
回答者 74
こんばんは。いつもお世話になっています。
御句、またまた出遅れで意見が出揃ってますが印象を語らせてください。
砂時計の落ちて積もる砂のように、ナウシカの腐海の森の深部を連想しました。池なので波紋が広がる底は少々の水深への揺らぎもあるかもしれませんが、それが積もることはないというのに…描写された言葉の力でしょうか。「…底の底に閑」と言葉を重ねることで静かで小さな秋の発見と伝わりますね。
実際には見えてないけれど静かなる底があるのだろうと波紋から想像を膨らませている様は、レオナルド・ダ・ヴィンチの水のスケッチのような細やかさですね。読者は読みながら発想を飛ばす詠手の世界に自然と巻き込まれているようです。
でも透明度の高い澄んだ泉だったら波紋が落ち着いた頃に具体的な秋に繋がる何かを見つけられそうですが、池なんですよね。公園の池などなら鯉が常に水面を揺らしていそうです。
水の動きの臨界点を詠もうとしているのだったら、他にどんな描写があるでしょうか。揺らぎの消ゆる…説明的な言葉ばかり出しそうなのでやめておきます(笑)
皆さんのコメント含めて勉強になり、連想が楽しい句を鑑賞できました^^ありがとうございます。
点数: 1
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近所のため池周りの散歩コース。石を投げたら池の表面には大きな大きな波紋が広がるんだけど、もっと底の底には。
「貯水池の波紋の底の底に秋」が気に入ってたんですが、季語が比喩的で、掲句に変わりました。「静」か「閑」かも少し悩みましたが。
みなさんご意見よろしくお願いします。