「夏痩や種を詰めこむ栗鼠の頬」の批評
回答者 卓鐘
どうもはじめまして。
香田さんは分かっている通り、栗鼠は季語じゃないですね。
空想なら空想とわかるように。実景として詠むならリアリティーは大事。実景であったとしても、俳句の普遍性を考えたときリアリティーのない実景は受け入れられないのでリアリティーを出すために嘘をつくことも多々あります。もしくは驚きを句にするか。
自分がペットを詠んだつもりでもペットとわからせる工夫がなければペットを詠んだことにはなりません。
リアリティーを出せてるかどうかは自問自答してください。
取り合わせについてはみなさんが解説されているようなので割愛。
ただこの句の課題は、栗鼠をみて膨れる頬という栗鼠といえばほぼ誰もが思うことをそのまま詠んでいることです。類想中の類想。当たり前のことを当たり前の言葉で提示されても俳句として評価はされません。(評価されないというだけなので、そこが目的でないなら気にしないでください)
ただ、夏痩せとの組み合わせは思い付かないし、ある意味オリジナリティーはあるんですよね。ただ反対のことをもってきちゃったんだろうなと思いつつなんかひっかかるものがありコメントしてます。
栗鼠が種に頬ふくらませると夏痩せでは全然ダメですが夏痩せと栗鼠のくみあわを生かす方法はありそう。(思い付かなかったけど😅)
点数: 1
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友人が飼っていたペットのリスが、ひまわりの種を食べて頬に詰め込んでいた様子を詠みました。
今回の課題
1)実景と空想の区別
2)無駄を省く
3)取り合わせの手法に初挑戦
疑問点
1)リスが木の実や種を食べるのは秋頃になりそうだが、ペットなら夏に詠んでも良いのか
2)取り合わせの句になっているか
3)食欲があるものとの対比で夏痩を選んだが、取り合わせの手法として、季語の選び方がこれで良いのか