炎天や給仕の髪の艶やかさ
回答者 なお
こんにちは。三日酔いの防人様、いつもお世話になってます。
御句、大地主の旧家のお庭で食事が出来るようになっているのですね。素敵ですね。
そこで作者さんはお昼食をいただいた。その際に、働いている給仕の方々の髪の美しさに目が行った。炎天下、こんな屋外で働いていたら、直射日光と暑さにやられて油が抜けて赤茶色に変色してボサボサになりそうなものなのに、何と黒々と艶やかなことかと。
そういうお店であれば、真夏の炎天下でも給仕は黒服を着ていたり、女性なら和服を着ていたりするのかもしれませんが、見れば皆さん汗一つかかず、平然と立ち回っている。
そんな凛とした姿に感銘してこの句ができたのではと思いました。
本来の「炎天」という季語から想起されるシーンはまさにイサク様のおっしゃる通りだと思います。
それを踏まえた上で、この句は、そうしたネガティブな状況をものともしない、そんな給仕の姿への共感ではないかと思いました。
提案句は、ほぼほぼ作者さんの推敲前の句に近いものになりました。
ここでは髪は「黒い」ことより「艶やか」であることに意味があると思います。
ただ、僭越ながら、御句でどうしても受け入れられない違和感を感じましたのは「炎天す」という上五です。これはいかがなものでしょう?
元句では「炎天の」となっているのが、推敲の過程でなぜ「炎天す」となってしまったのか…。
これは「炎天や」とし、中七以下と対比させました。
よろしくお願いします。
点数: 1
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皆様、今晩は。
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お題の炎天で詠みました。
当方の地元には根津記念館という、大地主の旧家がございます。
お庭も立派なもので、さぞ、豪勢な昼食を召し上がったものでしょう。
炎天の給仕の髪の艶やかなという句を推敲し、こちらに至りました。
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