「デパートの屋上閉づや矢車草」の批評
回答者 森本可南
こんばんは。イサクさん。昔の句は、批評されたくない。
恥ずかしい。
いやだなあ。
そんなお気持ちわかります。
それでも、わたしの俳句魂は、やってしまいます。
御句。すごいノスタルジー感じます。共感します。
矢車草は、小さな観覧車だと思いました。閉じた観覧車。
ちょっぴり切ない思い出。
素敵な句です。
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作者 イサク 投稿日
回答者 森本可南
こんばんは。イサクさん。昔の句は、批評されたくない。
恥ずかしい。
いやだなあ。
そんなお気持ちわかります。
それでも、わたしの俳句魂は、やってしまいます。
御句。すごいノスタルジー感じます。共感します。
矢車草は、小さな観覧車だと思いました。閉じた観覧車。
ちょっぴり切ない思い出。
素敵な句です。
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回答者 よし造
拙句・・私には結構誉め言葉でした。
御句・・「や」の働きが分からないので、一日しぼむ事の無い矢車草が庭の物か、屋上のものか分かりかねました。句から離れるかもしれませんが、私の好きなイメージをいえば、夜の屋上庭園の矢車草ですね。
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回答者 卓鐘
植物シリーズですね!僕は、本当植物・動物・虫の季語を使うのは苦手なので、すげーなぁと思います。
矢車草と小さい子供達のイメージがよく会いますね。子供のころデパートに連れて行かれると屋上のミニ遊園地がとても楽しみでした。
1点「閉づや」と閉じるという動詞の詠嘆で正しいか?というところですね。これによって、イメージが散漫になる気がします。
・もう閉園の時間になって閉じている
・最後の営業が終わって閉めるおじさんの視点
・大人になった自分が、あぁもうこのデパートの屋上は閉じているんだなという感慨
(これならば、「閉づや」ではない気がする。)
だた、デパートの屋上で9音もあるから、階段とかエレベーターとか扉とかも言えないし、、、うーん。
デパートの屋上に行ったけど、殺風景で何もなかった。ただ、「矢車草」がそこに。という風には詠めそうです。
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回答者 夢広渚
拙句の添削、ありがとうございます。
様々な解釈をして頂けて嬉しい限りです。
ご指摘のあった「花」に関する表現が
曖昧すぎたかなと感じました…
拙句での花=桜という認識は合っています。
直して下さった句の「花ひとひら」という表現、とても気に入りました。
ここからは御句の感想になります。
まず一目見て、屋上遊園地の跡地に茂る
緑と矢車草の儚さを感じさせる
情景が頭に浮かんできました。
季語の「矢車草」は春の終わり~初夏を
表しているのでしょうか?
初夏の青空の下、ひび割れたコンクリートに
生える植物の生命力や力強さも感じられ、
閉じた遊園地の儚さとの対比に
なっているのでは?など色々考察ができる
大変良い句だなと感じました。
初心者ながら長々と語ってしまいすみません…
ここまで感想を読んでくださり
ありがとうございました。
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回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
この句は取り合わせが上手く決まったなと思います。
ある一定の年齢以上の人は、デパートの屋上に遊園地(っぽい)スペースを見たことある人は多いでしょう。そこでの楽しかった記憶や、閉業してしまう寂しさが、「矢車草」と上手く噛み合っているかと。
「屋上閉づや」これは大いにアリだと僕は考えます。
「閉づ屋上や」と試しに読んでみましたが、これだとデパートの屋上という空間が強調されるばかりで…
閉づの詠嘆により、いつの間にか閉じたのではなく、自分の知る所で閉業してしまった事が分かります。そして自分自身がこの屋上に対して思い入れがあった事も伝わります。
提案句、屋上遊園地にピンと来ない人へ配慮するならこんな感じかなというのを残していきます。が、僕は原句の方が好きですね。
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回答者 ささゆみ
イサクさん こんばんは。
推敲句の添削ありがとうございました。やはり切れの「や」は中七の位置が良いですね。
デパートの屋上遊園地!
懐かしいですね。子供の頃、親の買い物が終わるのが、すごく待ち遠しかったです。季語の矢車草で、私は屋上観覧車を連想しました。規模こそ小さくても、天辺の見晴らしは中々でした。
また、ご意見お願いいたします。
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回答者 卓鐘
独歩のコメントありがとうございます。
特に独歩と関係のある人ではないです。独歩忌の23日の月は満月よりは少しかけている。欠けているとも言わずただ月を愛でている人というだけです。。
独歩の忘れ得ぬ人々には、自然となんかとけ混んでいて風情のある人々がたくさん紹介されていて、僕にとってはこの人がなんかいいなぁと思った。それだけの句でした。深読みをさせてしまいすみません。
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回答者 なおじい
こんにちは。イサク様、いつもお世話になっております。
拙句、「くちなしの…」および「さくらんぼ」のご評価ご添削有難うございました。
御句、デパートの屋上の慎ましやかな賑やかさと矢車草が上手く響きあって、しっとりとしたいい句だと思いました。
提案しては、添削とか手直しなどとはおこがましいですが、「閉づや」が耳慣れなかったのと、単にその日の営業終了か、もう最終日で廃業かわからなかったので、勝手に廃業にして詠んでみました。
ところでイサク様、よくおっしゃる、「季語が近い」とはどういうことですか?今度お時間のある時にご教示ください。よろしくお願いします。
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回答者 なおじい
イサク様、おはようございます。
私の勝手な質問に対する迅速なご回答、誠に有難うございました。わかりやすい説明で助かりました。例として挙げてくださった三句も素晴らしい。
勉強させていただきました。今後ともよろしくお願いします。
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回答者 なおじい
イサク様、拙句「あの雪渓歩いた我や…」のご評価ご添削有難うございました。
ご評価いちいちごもっともです。
あの句は、私は山歩きが趣味で、この時季は「夏に雪」という珍しさと涼を求めて、よく雪渓を歩いていました。
しかしコロナ禍で自粛の日々。そしたらテレビで雪渓が映っていて、ああ、2年前までは軽アイゼンつけてああいうところ歩いたよなぁ…。今は家で仕事したり、家事をしたりするばかりで山は全然行ってないなぁ…という気持ちを詠んだつもりでした。
しかし未熟で、メチャクチャでした。特に、季語が2年前のこと!無知でした。勉強し直します。有難うございました。
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遊園地は既になく