「ハロウィンの渋谷ライブや秋収め」の批評
回答者 丼上秋葵
添削した俳句: ハロウィンの渋谷ライブや秋収め
こんにちは。
改めまして、おくらです。
黙っているのも大人の嗜みだと思い、何も言わずにおこうかと静観していたのですが、御句「黒点」の句にケチをつけてしまった以上、こちらの句にも感想を述べさせていただくのが、筋かと思いました。
恐縮ながら、御句「ハロウィン」の句に感想を述べさせていただきます。
2011年のNHK俳句で「ハロウィーン」が季題として挙げられました。載っていない歳時記
もまだ沢山ありますし、西洋のものとは少し趣を異にしますが、日本の「ハロウィン」は、季語
として、確立しています。
これは知識の問題なので、別に知らなければ知らないで問題はありません。
御句の一番の問題は【「ハロウィンの渋谷ライブ」と「秋収め」を同列に扱ってしまった】ことです。
「秋収め」の季語が持つ本来の意味を、歳時記なり、それに類するもので、きちんとお調べになりましたか?
「秋収め」とは【その年の収穫がすべて終わり、豊穣をもたらしてくれた天地に感謝しつつ、春からこつこつと農業に携わってきた人たちを労う】意が込められています。
昨年はトラック横転事件まで起きた「ハロウィンの渋谷」ですが、【コスプレ大喜利のバカ騒ぎ】と化したこの行事を、私はいつも苦々しい気持ちで観ております。
いや、勿論、お祭りとして楽しんでいる方たちのお気持ちは尊重いたしますし、別に否定しようとは思いません。私も、実際に参加してみたら、それなりに楽しんでしまう自信はあります。
それに、子供たちがトリックオアトリートしながら、近所を訪ね廻る「ハロウィン」文化はむしろ、大好きであると断言します。
ですが、少なくとも「ハロウィンの渋谷ライブ」からは、そういった〈天地人に対する敬意〉を、私は微塵も感じることができません。
上記のような理由から、御句を一読して私が抱いた感想は、【季語「秋収め」が可哀想】の一言に尽きます。もっと一つ一つの言葉に対して、真摯な愛情を注いであげてもらいたいと思います。
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 1