こんばんは!
布団の中から、おくらです。
拙句「ロケット」の句にコメントを下さり、ありがとうございます!
三秋の季語
「秋夕焼」は「あきゆやけ」と読みます。この間のプレバト!でも、紹介されておりました。晩夏の季語「夕焼」よりも、どことなく〈寂しさ〉が滲みます。
恐縮ながら、まずは御句「秋茄子」の句に感想を述べさせていただきます。
提案句は、鳥越様のご指摘を援用し、さも自分が考えたかのように提示しております。
さすが、汚い! 卑劣なおくらを非難したくなるお気持ちは重々承知いたしておりますが、是非とも聴いていただきたい💦
「長雨や」としたことの効果は、「場面切り」以上の効果をもたらしていると思います。
◆花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町
百人一首のみならず、高校の教科書にまで載る程の有名な短歌ですね。詳細な意の説明は省きますが、「ながめ」の一語が「長雨」と〈物思いに耽る〉という意味の「眺め」に掛かっています。
御句は「長雨」に体調を崩して、大好きな「秋茄子」を食べることもできずに「眺め」ている、物思いに沈んでいる様を、上五に託して詠んだものと解釈しました。
それならば、やはり「長雨に」と「長雨」を背景にするだけに止めず、「秋茄子」への渇望で〈物思いに沈んで〉「眺め」てますよ! という気持ちを強調するためにも「長雨や」とした方がよい、というのが私の考えるところです。
以下、余談です。
『Wind Climbing~風にあそばれて』/奥井亜紀という名曲があるのですが、その中に「どうにもならない今日はせめて 笑い話に変えられますように」という歌詞があります。
私の人生には一時、「長雨」のように「どうにもならない今日」ばかりが続いていた時期がありました。当時は、絶望せずに日々を生きつなぐ為だけに、ひたすら言葉の刃を研ぎ続けて、現実を面白おかしく捉えようと苦心しておりました。その経緯あってこその、今の私だと思います。
『風にあそばれて』は歌詞のすべてが素敵です。よろしければ、御試聴なさってみてください!
少しでもご参考になれば、幸いです。