俳句添削道場(投句と批評)

鈴蘭さんの添削最新の投稿順の45ページ目

「淡々と米研いでいる桜ちる」の批評

回答者 鈴蘭

添削した俳句: 淡々と米研いでいる桜ちる

こんにちは。こちらの句、好きです。
研いでいる最中の米と桜、どちらも細かいものがふわふわと流れて重なるところが似ているためか、イメージがオーバーラップして新鮮な感覚でした。「iru」の韻も一定の効果を上げていると思います。

「淡々と」はやや言ってしまった感じがありますが、漢字の姿や「たんたん」と重なる音が、散る桜や舞う米のイメージと合う気もするので、口に出すと悪くないかなと思ったりもします。

句の密度を上げるなら、個人的にはなおさんの「何事もなく米を研ぐ桜散る」を推します。俳句の読み方がわかっている人なら、十分に切れを読み取れる構造だと思います。(お返事はどうかお気遣いなく!)

点数: 1

「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

添削した俳句: 長閑けしや桜と桃の花に蜂

こんにちは、拝見しました。
おー、AIを駆使されているのですね。
もう類想句くらいまでなら作れるポテンシャルはありますよね。ネタ出し機としては上々、でも基本的に何でも褒めてくるという印象があります。

自分としては、ここまで季語を重ねる必要があるのかどうかというところに目が行きました。決して「季語は一つでなければならない」という規範意識の話ではなく、単純に景として、一読で「おお!いいなぁ!」とはならなかったということです。感覚的なもので、すぐ言語化はできないのですが。長閑で、桜と桃が咲いていて、蜂が来ていると一つ一つ説明されたようで、一撃の感動ではないというか。全部揃った景が詠みたいのはわかりますが、読み手はそれを見ていないので、悲しいことに文字に起こしただけでは感動全体を共有できません。よって切り取りの腕が必要、これが文学としての写生句であると思います。もっとフォーカスできるのでは。

本句はまず「長閑しや」が一般に言う説明になっており(季語ですが後半と近すぎる感じ)、ここを言わずとも感じられるようにする工夫があるとよいと思います。まあ「昔から一般にそういう俳句が良いと言われている」だけとも言えますが、自分はそれに同意していて、読み手に自ら「のどかだな」と思わせる方が打率が高いというか、自分が読んでもその方が素直に感動できる実感があります。捻くれ者なので、「いや別に本当に長閑だったかどうかは知らん。自分は少なくともそう思わない」みたいなことがつい頭を過ぎるので。でも「ぶーん」みたいな蜂の羽音を提示されると「長閑だなぁ…」となるんですからちょろいものです。ここまで効果があるなら使った方がお得な手法だと考えます。

桜と桃はどちらもすごく似てますし、重ねなくてよいんじゃないでしょうか。桜を読むと桜が目立ってしまうから、自分なら主眼は桃にします。桃しか登場していないからといって、その場に桃しかなかったことにはなりません。春の風景の一部としての桃であり、その場に菫や桜もあったかもしれないとイメージするのは読み手のスキルと心です。

さて蜂も季重なりですが、これも究極的には詠まなくても成立しますね、仰るように重心次第です。とはいえ、花と虫程度なら重ねても成立しやすい感じはありますね。たとえば、

熊蜂の止まりて桃の花弁落つ
蜂一つ一つと潜る桃の花

もし感動の焦点が「長閑さ」にあったのなら、蜂という忙しないものを持ってくるのは対比として面白いですが、それならちゃんと忙しそうにさせると良いです。桜や桃だけだとちょっとつきすぎですかね。工夫次第かもしれませんが。

長閑さや桜の蜂を払ひつつ

ひとつ付け加えると、見た景色はあくまで素材であると思う方がやりやすいと思います。写生の目的には「人に良いと思わせること」がやむを得ず含まれます。すると正確な景が桜と桃の揃い踏みだったとしても、それを絶対に表し切る必要はないです。読み手は現実がどうだったかは気にしません。そこの枠を外すことが自分の場合は効果的だったと感じています。

点数: 2

「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

添削した俳句: 長閑けしや桜と桃の花に蜂

なるほど、何か軸があっての表現方法なのですね。
となると、発表の場を考える方向にシフトした方がよいかもしれませんね。

王道の写生句もそうであるように、俳句は読み方(詠みかたではなく読みかた)がわからないと鑑賞しきれないという大きな弱点があります。また俳句に限らず、芸術とはある程度、それを評価する場や権威によって評価されるもので、たとえば絵画コンテストに写真を出したら多分見てすらもらえませんし、油彩静物画の集いで水彩抽象画を描いていてもまた正しく評価されることはないでしょう。写真は写真の、水彩抽象画は水彩抽象画の場に持っていかないと、その価値は埋もれてしまいます。

そういう観点から言って、この句をその思想まで含めて鑑賞しきれる人がここにいるかというと怪しい気がします。まず初歩的な読み方から学んでいる人もそこそこいる中、ここでみつかづさんの求めるものは得られるのだろうかと素朴な疑問が浮かびました。

もちろん発表するなというわけではないのですが、お返事を見てから「アドバイス」をするならそうなります。評価をしてほしいのなら、出す場がちょっと違うのではないかと。とはいえ、出すこと自体は自由です。何らか、作者さまにも、読み手のためにもなる経験ができるとよいですね。

点数: 1

「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

添削した俳句: 長閑けしや桜と桃の花に蜂

いえいえ、あまり突っ込んだ話を人とすることもないので、むしろお付き合いいただきありがとうございます。たまには意見を戦わせてみましょうか。

少し誤解を解いておきたいのですが、私が言った評価というのは点数付けという意味ではなく、フィードバックを多分に含む概念です。良い・悪いもフィードバックですからそれを点数付けと言われればそうですが、0点!100点!60点!なんて付け方をする人はあんまりここにはいません。なんとなくの印象をなんとなく言語化するのは、一応フィードバックと言ってよいと思っています。

作品自体への読みの提示はしておりまして、「ひとつひとつ説明されているように感じた」ということです。また、みつかづさんにとっては「あんまり自分の狙いが伝わらなかったな」というフィードバックにもなっているのではないでしょうか。もちろん、一般的な俳句の読み方をしたからこう感じるのであって、なにか別の読み方のプロトコルに則れば違う景色が見えるのかもしれませんが、それは私にはインストールされていませんし、する機会も転がっていませんでした。

初歩的な読み方というのは、たとえば切れと取り合わせのようなレベルの話です。「区別を持ち出すことは、鑑賞者の発展の可能性を狭める」ということ、私も考えたことがあるのでお気持ちはよくわかります。見て分からない文なんて文ではないだろうと思った時期があります。ただ現実問題、たとえば「金色の仏ぞおはす蕨かな」を「蕨に仏がいる」と読んでしまったり(これは昔の私ですが)、極論「や」の意味を知らなければ「花散るや屋根職人の大笑ひ」を「花が散ったり、屋根職人の大笑い」と読んでしまうとか、そういうことが起こり得てしまうジャンルだと思うんです。多少の約束ごとを知ったうえで鑑賞しないと意図を汲み取れないという制約が、現実問題としてある。ここを表現者としてどう扱うかですよね。

ただ作品をぽんと置いて、何も知らない人に「読んで」と言って突きつけるのは、若干この、伝える努力の適用範囲内ではないかと最近思うんですよ。極端な話、自分が開発した人工言語で俳句を作るようなもので。作者にはわかるし、芸術作品としては面白いけれど、読み手には伝わらない。みつかづさんの句も私にとってはそれで、みつかづさんの要求する読み方が私の中にないので読み取れない、よって作品世界を探索することが難しいんです。

ここで作者が取れる手は2つあり、ひとつは読み手にわかる形に噛み砕くことですよね。でもこれはみつかづさんは選ばない。それでよい、というのであれば言うことはありません。ただそれは文芸というより芸術の文脈だという気がします。人に読んで解釈してもらうことをそもそも想定しているのか。どのへんの、どのくらいの人に届かせたいのか。

おそらく、現代の俳句のシーン、このサイトのメンバーの傾向を認識したうえで、あえてそれを出す姿勢を含めての作品なのでしょうけれども、そこまで認識して評価するからこそ言わせていただければ、出す場が違う、もったいなくないか、と言うフィードバックをさせていただいたわけです。思っただけです、投稿することはもちろん構いません。もっとこう俳壇のトップあたりに突きつけるべき姿勢であって、俳句道場でこれを「磨く」のは難しく、磨くとするなら、場そのものではないか、というのが私の初見の感想だったわけです。感想であって、投稿するなというわけではありません。ややこしいですが伝わりますでしょうか?

観念的・実験的な句を投句してはならないわけではない、ということは先のコメントで明言しております。句風を取り締まったつもりなど一切ありません。ただその実験句の中でも特にみつかづさんの考え方が知りたくて、率直なコメント(フィードバック)をぶつけさせていただいたのであり、それこそがこの道場の意義ではないか?と私は考えています。

長くなりましたが、きっと「一読で理解されるのが良い俳句だ」という概念に向けてのアンチテーゼなのでしょう(言い過ぎでしょうか?)そこまで自覚されているのであれば、本当に特に何も言うことはありません。それを阻害したら俳句の発展はないですからね。ただ一読者として、今回は刺さらなかったなぁ……という素直な感想を置くのみです。この手法でおおっと思うものができたら、それこそブレイクスルーでしょう。迎合など不要、お互いに良いと思うところを吸収できれば、それでよいと思っています。

実際、このへん最近色々と思うところがあったのですよね。もしみつかづさんも自論などあれば、せっかくなので伺いたいです。

点数: 4

「逃水やこゑに反抗期の兆し」の批評

回答者 鈴蘭

添削した俳句: 逃水やこゑに反抗期の兆し

こんにちは、御句拝見しました。
近いか遠いか、確かに迷う句ですね。不思議な感覚です。いずれ親元を離れていく子供のイメージと、逃げていく水のオーバーラップと読めなくもないけれど、それだけだと句の世界が狭まってしまって勿体ないような。余白の問題ですかね…?

「反抗期の兆しが出てきた子」と取り合わせるには、逃げ水が儚すぎるのかもしれません。とても感覚的なことを言うのですが、最後を「す」にするなどいかがでしょう。

逃水やこゑに反抗期の兆す

この兆すは終止形とも連体形とも取れてしまいますが、連体形として何かを省略したような形とすると、掴もうとしてもつかめない逃げ水ともっと響き合うかも……と小手先ですが一案としてお送りします。つまり何なのかと言われると難しいですが、正直わからないです。反抗期の兆す年頃か、それに対する思い入れか、この年頃もすぐに過ぎ去ってしまうなあという感傷か。親自身にもつかめない親心、のような感じで。
こゑを平仮名に開いてあるのが好きです。

点数: 2

鈴蘭さんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

花の無き辺りを蝶の諦めず

回答数 : 4

投稿日時:

天の川バンドメンバーみな老ひぬ

回答数 : 5

投稿日時:

別荘に古きコミック天の川

回答数 : 6

投稿日時:

スーパーの西瓜同士の隙間かな

回答数 : 4

投稿日時:

滝涼し飛鳥時代のはかりごと

回答数 : 2

投稿日時:

鈴蘭さんの添削依頼2ページ以降を見る

その他の添削依頼

寝静まる自宅への道月明かし

作者名 ダック 回答数 : 2

投稿日時:

川音の重なり合へり猫柳

作者名 久田しげき 回答数 : 2

投稿日時:

夜涼みに小川糸など読んでみる

作者名 優子 回答数 : 4

投稿日時:

添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ