「春の蝶電柵通る緩慢と」の批評
石鹸さん、こんにちは。
再訪です。昨日、御句に真っ先にコメントした者です。
私は季語
について、失礼なことをしてしまいました。
自分の手元の歳時記
に出ていないからと言って、「季語ではない」とお伝えしてしまいました。私はかねてから、仮に自分の歳時記に出ていないからと言って、「季語ではない」と断じるのはやめよう、自分の手元の歳時記には出ていないとお伝えするのにとどめよう、と決めていたのに、うっかりしました。申し訳ありませんでした。
ご存知のように、季語は一律に決まっているわけでもなく、それぞれの拠り所としている歳時記を参照しています。私の場合は、日本では有数の出版社から出ている最新のものを使っており、今回の蝶についてはコメントの前に調べました。私の歳時記には春の蝶は載っておりませんで、代わりに、「季語では蝶といえば春であり、揚羽蝶など大型のものは夏に分類される。→夏の蝶(夏)・秋の蝶(秋)・冬の蝶(冬)」となっていました。
例句として、「方丈の大庇より春の蝶 高野素十」はありましたが、蝶といえば春を代表する光景ですから、一音でも有効に使いたい俳句
では、わざわざ「春の」という必要もないと考え、あのようにコメントし、子季語の中からイメージに合う紋黄蝶を選びました。
ただ、他の方々から、春の蝶は蝶の子季語、傍題にあるとのコメントがありましたので、私も再度確認しましたが、やはり見落としとかではありませんでした。
言い訳じみたことを長々とすみません。これからはより一層気をつけて、軽々しく「季語ではない」などと言うのは控えますので今回はご容赦ください。
また、他のみなさん、気づきを有難うございました。
今後ともよろしくお願いします。