俳句添削道場(投句と批評)

卓鐘さんの添削得点の高い順の3ページ目

「カタカナ語苦手な父や茄子の花」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: カタカナ語苦手な父や茄子の花

「説明するな」に対する僕なりの理解をまず書かせてください。
なぜ説明が良くないのか?それは読み手の想像力を制限し句の世界が広がらないから。だと考えています。映像をただ示すだけでいろんなことを読み手は想像し状況を把握できるのに、その結果だけを説明されると興ざめです。
ただ、逆に状況や映像を限定することで、句の世界を制限してしまうことだってあると思うのです。説明的な表現をすることで返っていろんな想像や状況を連想させることも。

掲句の「カタカナ語苦手な父」はまさにそういうタイプの説明と考えます。どう苦手かを出されるより、ただ「カタカナ語苦手」と言われるだけで機械音痴であったり、発音がうまく言えなかったり、文章が理解できなかったり、いろんな不器用な父のイメージがそれぞれの読み手の中に連想されます。ここは、苦手な状況を映像としてみせるより、単に苦手とだけの方が句が広がると考えます。

そして、「茄子の花」との取り合わせがいいですねー。ナスのなんとも間の抜けたイメージがカタカナ語の苦手な父をひびき合います。「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない 」の諺も連想されますね。ここも威厳のあるぶっきらぼうな父のイメージと釣り合う。

とても良い句だと思いました。

点数: 4

白日傘閉じて世界の色づけり

回答者 卓鐘

添削した俳句: 白日傘閉づや世界を染めながら

いつもコメントありがとうございます。また、木の葉季重なり見落とししてしまった。。なんか日傘の句、コメントもご指摘通りだと思うし、失敗続きで落ち込んでます(笑)

白日傘も中は遮光なので黒かったりしますね(なので先の句は中からじゃなく、日傘の外に写っている枝や葉の影を詠んだつもりでしたー。)まず、外の影や光は見えません。御句、白日傘を閉じると、傘の下で闇だった世界が色づいて広がって行くその瞬間を詠んだと解釈させてもらいました。そうだとすると、切り取り方は最高だと思いました。

舞う、染める、燃えるは凡人がよく使う動詞だと刷り込まれている世代としては、染めるが気になりました^^(もちろん、使っちゃいけないということはないと、重々承知の上、その是非を僕には、判断できないというだけです。)

また、「閉づや」で切れるべきかどうかもわかりませんでした。

僕の感覚としては、切れはなく染めるも表現変えた方がいいんじゃないか(先の解釈が正しいとすれば)という提案句です。

点数: 4

「青空のピアノ伴奏復活祭」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 青空のピアノ伴奏復活祭

こんにちわ。

>なおじいさんへのコメントについて
あんまり、人の会話に割り込むのもどうかと思いつつ、ネットという文字だけではその人の真意は伝わらないので、誤解を招きやすい。会って話したって誤解はあるのに、特に文字だけだと。

そして、明らかな誤解があるなと思ったら、なんとも見過ごせないたちでして、お節介をご了承ください。

>復活祭と言われてもあまりよく知りませんが、重要な日らしいですね
これを皮肉と捉えるのは違うと思います。100%皮肉ではないと断言できます。文脈をよく見てください。なおじいさんは「復活祭」についての感慨はよくわからないけれど、おじさんさんはそれがよく分かる方だとお見受けしたから、それを詩にできないだろうか?という提案ですよ。

>及第点という言葉について
俳句に古い言葉も新しい言葉もない。それはその通り。どんな言葉を使ってNGということはありません。ただ、句にとっての効果というものを考えて言葉を選ぶものです。例えば、文語体であれば格調や雅な感覚が生まれます。「及第点」についてどうでしょうか?これは、どちらかというと確かに最近は使われなくってきた言葉ではあります。41の僕にはしっくり来ましたが、僕よりひとまわりしたの世代には「及第点」の持つイメージなどがピンとこないかもしれません。必ずしも、全世代にわからなければいけないというものではありませんが、それでも伝わる人が大いに越したことはありません。文語などは世代に関係なく、平等に学べる言葉でもありますが、特定の世代にはしっかりイメージわくし感慨も共有できるけれど、それ以外の世代には伝わらない。「及第点」とはそのたぐいの言葉と思います。それを使うことは悪いと思いません。若者言葉も俳句にどんどん取り入れたい言葉ですから。ですが、先のおじさんさんの句は、全世代に共感し得る句であります。それを思った時「及第点」が最適か?という推敲が考えられます。なおじいさんは、キャッチコピーなど言葉に携わる仕事されている方のようで、そのあたりの言葉選びを慎重に考えていると思います。(僕もあの指摘があるまで、「及第点」という世代間で伝わり方がある可能性に気付いていませんでした。)

人は性格や表現方法も様々で、それに対して好き・嫌いはあるでしょう。好き・嫌いについて心に思っていてもいいですが、「嫌い」だからと行って全て「皮肉・悪意」と取るのはどうでしょうか?僕もなおじいさんに会ったことあるわけでなくここでの文章でしか知りませんが、イメージとしては気さくな元気のいいおじさんという感じです。自分が学んだことを、せっかくなら伝えたいし、人から見た時にどう句が受止められるかというのを句をしっかり見て真摯に答えたいと思っている方だと思います。「言い方を気をつける」というのは必要なのかもしれませんが、不愉快だと感じられた二つの発言に関していうと、これで人を不愉快に感じさせるかもと気を付けられるものではないなぁと感じてしまいました。

人それぞれ、感じ方は違うし、見え方も違う。不快に思うこともあれば、気にしないこともある。なおじいさんの感じ方は否定致しませんが、どうか、皮肉・悪意と受け取らないで欲しいなと。

長文失礼いたしました。

点数: 4

「春惜しむ惜しめど遷る生娘や」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 春惜しむ惜しめど遷る生娘や

初めまして。

「惜しめど」という気分は、「春惜しむ」で書いているのであえてダメ押しは不要です。また、「遷る」では、色あせていく、興味が薄れていくみたいな意味になっても、色気づくという意味にはならないと思います。「生娘」かどうかは主観なので、あくまで映像として。映像を描写するだけが俳句ではないのですが、最初のうちはまずは見たものをそのまま書いて、思いは季語に託すという作り方がうまくいく可能性が高いですよ。

春惜しむ暮れに語らふ女学生
春惜しむ友と語らふ女学生
くらいでどうですかね?
その状況と「春惜しむ」でどう感じるかは読者に託しましょう。

と、いうのも、「この生娘も段々と色気付いてしまうのか」という風に思うのは共感が得にくいというか、そんな風に物事捉えない方が良いかと思います。どう捉えるのも個人の自由で、否定する権利も他人にはありませんが、「この子たちもたくさん恋をして綺麗になって成長していくのだなぁ」くらいに世界を見た方がみんなハッピーになるかと。

点数: 4

「紫陽花のぐにやり赤子の首のごと」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 紫陽花のぐにやり赤子の首のごと

なおじいさんに戻ってる!
コメント専門の時はちょっと舞踏会の仮面でもつけてた感じですかね?笑

なかなか、なおじいさんっぽくない(悪い意味ではない)句ですね。ぐにやりと赤子の首でちょっとばかしどきっとします。 

ただ、紫陽花の柔らかい鞠のなんとも座らない様子を赤子の首と例えるのはすごいと思いました。

紫陽花は赤子の首のごとゆらぐ

点数: 4

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