「青空のピアノ伴奏復活祭」の批評
こんにちわ。
>なおじいさんへのコメントについて
あんまり、人の会話に割り込むのもどうかと思いつつ、ネットという文字だけではその人の真意は伝わらないので、誤解を招きやすい。会って話したって誤解はあるのに、特に文字だけだと。
そして、明らかな誤解があるなと思ったら、なんとも見過ごせないたちでして、お節介をご了承ください。
>復活祭と言われてもあまりよく知りませんが、重要な日らしいですね
これを皮肉と捉えるのは違うと思います。100%皮肉ではないと断言できます。文脈をよく見てください。なおじいさんは「復活祭」についての感慨はよくわからないけれど、おじさんさんはそれがよく分かる方だとお見受けしたから、それを詩にできないだろうか?という提案ですよ。
>及第点という言葉について
俳句に古い言葉も新しい言葉もない。それはその通り。どんな言葉を使ってNGということはありません。ただ、句にとっての効果というものを考えて言葉を選ぶものです。例えば、文語体であれば格調や雅な感覚が生まれます。「及第点」についてどうでしょうか?これは、どちらかというと確かに最近は使われなくってきた言葉ではあります。41の僕にはしっくり来ましたが、僕よりひとまわりしたの世代には「及第点」の持つイメージなどがピンとこないかもしれません。必ずしも、全世代にわからなければいけないというものではありませんが、それでも伝わる人が大いに越したことはありません。文語などは世代に関係なく、平等に学べる言葉でもありますが、特定の世代にはしっかりイメージわくし感慨も共有できるけれど、それ以外の世代には伝わらない。「及第点」とはそのたぐいの言葉と思います。それを使うことは悪いと思いません。若者言葉も俳句にどんどん取り入れたい言葉ですから。ですが、先のおじさんさんの句は、全世代に共感し得る句であります。それを思った時「及第点」が最適か?という推敲が考えられます。なおじいさんは、キャッチコピーなど言葉に携わる仕事されている方のようで、そのあたりの言葉選びを慎重に考えていると思います。(僕もあの指摘があるまで、「及第点」という世代間で伝わり方がある可能性に気付いていませんでした。)
人は性格や表現方法も様々で、それに対して好き・嫌いはあるでしょう。好き・嫌いについて心に思っていてもいいですが、「嫌い」だからと行って全て「皮肉・悪意」と取るのはどうでしょうか?僕もなおじいさんに会ったことあるわけでなくここでの文章でしか知りませんが、イメージとしては気さくな元気のいいおじさんという感じです。自分が学んだことを、せっかくなら伝えたいし、人から見た時にどう句が受止められるかというのを句をしっかり見て真摯に答えたいと思っている方だと思います。「言い方を気をつける」というのは必要なのかもしれませんが、不愉快だと感じられた二つの発言に関していうと、これで人を不愉快に感じさせるかもと気を付けられるものではないなぁと感じてしまいました。
人それぞれ、感じ方は違うし、見え方も違う。不快に思うこともあれば、気にしないこともある。なおじいさんの感じ方は否定致しませんが、どうか、皮肉・悪意と受け取らないで欲しいなと。
長文失礼いたしました。