俳句添削道場(投句と批評)

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満月とGPSに入力す

回答者 佐々木健一

添削した俳句: 満月のGPSや地球号

GPSを使うとき行き先の名前なり住所なりを入力して使うわけです。
作句意図の未来への指針となるGPSという、未来への不安。
GPSはナビゲーションでリモコンのように操作しているわけではない気も。
月の満ち欠けと海の満潮干潮の関連性を思い出しました。
擬人化ならぬ機械化、地球を自動車か何かの乗り物に見立てているのが、この句のおもしろさだと思いました。
位置を移動するわけでない現在も全人類を未来へと運んでいる乗り物。
GPSという言葉を取り入れた俳句を考えたことはなかったので、作ってみたくなりました。
満月、地球号、GPS。
地球号の発想や未来への不安感はGPSではどうにもならない気もしたので、ちょっと古いSFものっぽい句で、満月への憧れの句に直してみました。
宇宙船でGPSで星を入力すると到着時刻やルート検索できる時代、別の星に移民する時代が来るとしたら、その頃の地球はどうなっているんでしょうね。

点数: 0

後悔も新米も噛みしめうまし

回答者 佐々木健一

添削した俳句: 失敗を新米噛みしめ糧にする

悔しさを噛みしめながら食事をしているとき、新米のおいしさに、明日の糧にしようと悔しさが、なんというか浄化される。
おいしい食事、新米に気持ちが癒される。
新米を新人の言い替えの意も隠されているとのこと。よく噛んで新人の味を引き出してあげたいといった感じでしょうか。
悔しさが「噛む」ということで前向きな気持ちになる、この動作による変化が素敵な一句だと思いました。
作句意図なしで読んだとき「失敗」を糧にするために噛む、「失敗」から得られた経験は新米のようにとてもありがたいものという句だと思いました。

あえて575ではなく557の変奏曲?で直してみました。

俳句には生憎(あいにく)はない」
俳人は雨が降ったら降ったで風情をよろこび、風がふいたらよろこぶ。
俳句にすると、人生はどんなことも「生憎」はない。
仕事のイライラもまた俳句にすれば、こんなに前向きに。
俳句ってすごい素敵なものだと感じさせていただきました。

点数: 3

冬を待つ木の実つやめく朝の庭

回答者 佐々木健一

添削した俳句: 東天よ寒暁を知る椿の実

秋から冬の季節の移り変わりを早朝の日の昇る時間差、気温、椿の実を見て感じた感動をこの句は詠みたかったのだと、作句意図を読ませてもらってわかりました。
季語の「寒暁」(冬)と「椿の実」(秋)が重ねられているのは、秋と冬の混在を感じたからなのでしょう。
「東天よ」と呼びかけるものがいる。
「寒暁を知る」とさらに言うように
「椿の実」がある。
というような宮澤賢治の童話のように話す木の実の一句としても楽しみました。
なぜ、椿の実は、天にどんな気持ちで語りかけているのか?
そこに合う秋の季語として「冬を待つ」というのはいかがでしょうか?
「春を待つ」に似ていますが「冬を待つ」は、ただ待ちわびるのではなく、準備はできている、覚悟もある、かかってこいという雰囲気の秋の季語です。
秋の朝の庭にある椿の実を見て感動したのと、朝の空の美しさに感動したという二つの感動は、一句で作るはもったいない気もします。
椿の実に朝日があたり、つやめく。つやめくのは冬を迎える秋の木の実の覚悟のつやめき。
つやめくとすると木の実のクローズアップだけでなく反射の光を感じられますが、擬人化することを避けられます。

寒椿という季語もあり、椿と雪の絵画もありそうなこと、さらに木の実とすれば、句を読む人がどんぐりでも、他の木の実でも同じように「冬を待つ」という季語が受けとめてくれます。

感じた季節の変わり目を、さみしさではなく、力強く待つ。
「東天よ寒暁を知る椿の実」の一句から感じた秋の木の実のたくましさへの感動を「冬を待つ」という季語で、椿の実の擬人化ではない句に直してみました。

指摘事項: 季重なり

点数: 2

新米を噛んで腹へと明日の糧

回答者 輝久

添削した俳句: 失敗を新米噛みしめ糧にする

新入社員の新米と現物の新米を、掛けてみました。

失敗の悔しさを口に出さずに噛みしめて夕ご飯を頂き、また明日から頑張ろうと思う気持ちに詠んでみました。

点数: 1

新米を噛みしめる歯の小刻みに

回答者 ハオニー

添削した俳句: 失敗を新米噛みしめ糧にする

お初にお目にかかります、ハオニーです

早稲の品種は新米の時期ですね
この句に出てくる方は、間違いなく晩成な方でしょう

日記帳に書き留める句なら、「失敗を」が分かりづらいと思います
「糧にする」で何か失敗したのかと推測はできますから、「失恋を」「叱責を」「嘲笑を」などもう一歩踏み込めば、その時の感情がリフレインされるでしょう

これを作品レベルまで持っていくには
説明くさい句は作品と呼べないため、大鉈を振るう必要があります
つまり
原因「新米を噛みしめる」→結果「糧にする」
という因果関係を解消しなくてはいけません

結果「糧にする」も、曖昧な「失敗を」も消します
「新米を噛みしめる」というフレーズが残りました
ここに「歯の小刻みに」とくっつけてみます

これで、失敗して悔しさと新米を噛みしめる様子がイメージ出来るようになりました
さらに、新米を嬉しがって食べている家族の様子かもしれないとも想像できます
(これは私の弟にどんな句か聞きました)

作品とよべる俳句の多くは、読み手が多様な解釈が出来るものです
100人が100人同じような解釈をするピンポイントの作品もありますが、それはプロでも難しい領域です

点数: 2

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