「娘育ちたりアスファルトの向日葵のごと」の批評
回答者 秋沙美 洋
聖雅さん、こんにちは。
御句読ませて頂きました。
既に指摘がありますが、比喩に季語を持ってくると季語としての力が弱まってしまうので、余程の工夫をしない限りは避けた方が無難ですね。
「アスファルト割る向日葵よ我が子らよ」
音数合わせで娘を変えましたが、他にやりようはありそうです。
点数: 0
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作者 聖雅 投稿日
回答者 秋沙美 洋
聖雅さん、こんにちは。
御句読ませて頂きました。
既に指摘がありますが、比喩に季語を持ってくると季語としての力が弱まってしまうので、余程の工夫をしない限りは避けた方が無難ですね。
「アスファルト割る向日葵よ我が子らよ」
音数合わせで娘を変えましたが、他にやりようはありそうです。
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回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
題材として自分の子の成長を読みたくなるお心はよくわかります。
季語の比喩表現は季語が成立しない、というのはあります。この句は中七も向日葵を指していますので、切れの意味と位置の工夫で少し変わると思います。いかがでしょうか。
点数: 0
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何としてやれなかったのに、すくすく育った娘はまでアスファルトのすきまから伸びていった向日葵のようです。