「死ぬものの死せる朝や木ノ芽張る」の批評
回答者 凡
明智明秀さん、こんばんは。凡です。
木の芽和えへの御鑑賞 御提案句ありがとう御座いました。
まず、かぬまっこさんからの御提案句について。
私は、そこまでは、全く考えませんでした。初めてお聞きしたお名前でもあり(以前からこちらで活動されている、諸先輩方は良くご存知かとは思います)極自然に、事実を申し上げ、お詫びしたような次第です。
そこまでお気遣いいただいたとは、夢にも思いませんでした。
季重なりでは有るが、良くできた句、とのご評価ありがとう御座います。
明智さんが御提案下さった句を参考に、改めて考えてみたいと思います。
なにしろ粗忽者ですので、今一度推敲しておれば…と思うことが多々有りますので、以後気を付けたいと思います。
きのめ、このめ、この句を投稿する際も、木の芽和とは山椒の若葉を刷って和えたもので、それは「きのめあえ」と呼び、一般的な俳句での木の芽はこのめと読み、多くの木々の新芽を言う。
木の芽時も「このめどき」と読む…までは理解していました。今回のお題に木の芽和えが匹敵するか?とも思いましたが、それほど深くは考えませんでした。
御丁寧な説明、また細やかな感情の機微までご推量いただき、ありがとう御座いました。
またよろしくお願い致します。
点数: 0


お題の一句です。
死と生の連続性みたいなことを感じて頂ければ幸いです。