気まぐれ亭いるかさん、おはようございます。以下、長文お含みおきください。
「厳しく」とのご要望、承りました。
お目指しの『夏井いつき
の一句一遊』水曜日での「天」への崖を登られる為に、
心を鬼にして冷徹な論理的分析を書き置かせていただきますね。
(悪役、嫌われ者を演じるのは正直疲れますけどね。私めだって波風立てない方が
本当はラクですよ。でも、それでは自他の鍛錬にならず、道場の意味が無いので。
褒められて承認欲求を満たしたいならブログで十分)
1.「比喩(〜に似て)」という構成の是非
「一句一遊」の水曜日(上級)において、比喩による説明は、しばしば
「表現の放棄」と見做されるでしょう。「詩歌は祈りに似て静か」と書いた瞬間、
読者の脳内には「祈り」という既成概念が流れ込み、「曲水の宴」という
現場の固有性が霧散します。
上級で求められるのは、「似ている」と言わずに、現場の光景
(盃の速度、水の冷たさ、衣擦れ)を写生(写実とは違い、導かれる真実の描写)
なさる事で、結果として「祈りの様な静寂」を読者に発見させる技術でしょう。
2.季語
「曲水」のダイナミズムの欠如
曲水は元々、静寂の祈りである以上に、酒と遊興、そして穢れを流し去る
「動」の儀式(禊)です。お酒も入る場において、何故「静か」の
一点に収束させたのか。その必然性を「祈り」という概念に逃げずに、
映像で証明できていなければ、上級の舞台では「景のリアリティ不足」として
選者に一蹴されるでしょう。
3.鑑賞力=作句力の相関
拙句「姪御らのいさ気は知らず雛納」へのコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/33958
「いさ気は知らず」の他人事っぽい言い回し。ここは正しく読解されましたよね。
私めの意図通りでございます。問題はこの先。
「何故、他人事の様に書かれているのか?」。
理由は、「女の子、つまり女性の厄除けの行事なのに、男性の詠者である私めが
その女性達に対してあれこれ口出しするのは家庭干渉、
性的干渉になるから」なんですよ。
ですので、血縁でありながらワザと他人事の様に描写したのです。
気まぐれ亭いるかさんは「混乱」と評されました。
しかし、そこには自動詞と副詞による「大人同士の不干渉という倫理」の
パッキングがありました。
古語の動詞「知る」の大意は、「対象を意識して、自分の心の中に取り込む」。
そして元々の語源的な意味は、「統治する意味の「領る(しる)」と同じで、
対象となるものの性質、状態を十分に把握して支配する」なんですよ。
(手持ちの『ベネッセ全訳古語辞典』670ページより)
ここから終止形が同形の自動詞(動作の対象となる目的語を必要とせず、
主語自身の動作だけで文が完結する)と
他動詞(動作の対象となる目的語が必要で、動作の影響を受ける相手(目的語)が
無ければ文が成立しない動詞)「知る」に分かれます。
「知らず」はラ行四段活用で他動詞用法の未然形+打消。
意味は「理解しない、判断しない」。
拙句の「分からない」は四段活用でも自動詞用法になる例外なんですよ。
「分かる」を意味する自動詞が、未然形+打消で否定になってるだけですから。
「知れず」はラ行下二段活用で自動詞用法の未然形+打消。
意味は「人に知られない」。「自然に人に分からない」。
これも、『ベネッセ古語辞典』670ページで調べました。
拙句の「姪御らのいさ気は知らず」は、
「姪御らの気持ちは、さあ、どうだか私には知らないけど」。
つまり、こう言い換えられます。
「姪御らの気持ちは、さあ、どうだか私は判断しない、支配しないけど」。
詠者である私めが主語で、「知らず」が目的語無しで完結してますでしょう。
たまたま「気」という目的語ありますけども。
完全に他動詞化したら、「知らず」の主語が私めだけで完結しないでしょう。
「姪御らの気持ちは、さあ、どうだか私には(誰にも)知られない、
支配されていないけど」。
「一体、作者以外の誰に知られてないの? 誰にも支配されてなくて姪御さん達、
良かったね。私には誰にも知られないって、句面に目的語が無いんだけど、
姪御さん達が作者の気持を知る必要なんてあるの?」と、
読者がかえって混乱するでしょう。
そして、上記を踏まえますと、以下のプロセスを経て
作中主体は詠者で例外の自動詞用法だと確定できます。以下、理由です。
姪御達が娘の気持を知れない
→「もしかして、母親なのに娘の気持を知ろうとしていないのでは?」
→育児ネグレクト疑惑になる
詠者の私めが姪御達の気持を知れない
→「血縁とはいえ他者家族なのに、何故知ろうとして知る事ができなかったの?」
→家庭干渉疑惑になる
詠者の私めが姪御達の気持を知「ら」ない
→「知ろうとする事で姪御達の心中を侵食してしまう事を自ら拒み、
姪御達のプライバシーを侵さない。ワザと知ろうとしない」
→大人としては普通に在り得る
ですので、添削
提案におかれましては文法の段階で既に間違えておられます。
都度古語辞典、国語辞典を引いていない証拠。意味的に自他逆転が起きる動詞も
あるんですよ。文法、論理、知識は小手先だけで扱うものじゃない。
気まぐれ亭いるかさんにまだ足りていらっしゃらないのは、
「主観を捨てて疑問を持ち、語の大意や語源を都度調べ、句の構造を分析する事」。
この道場にいらっしゃる多くの方にも、当て嵌まっているのかもしれません。
辞書を引くという孤独な作業は、決して単なる知識の確認や蓄積ではありません。
作者様とその句の尊厳を、自句を汚さない為の、「俳句
」という文学の
表現者としての最低限のマナーではないかと、私めは心得ております。
他者の句の「構造」を正しく解凍できない受信機(鑑賞力)では、
自句に高度な写生ロジックを組み込む事は不可能でしょう。
何故なら、鑑賞は表現の逆演算ですので。
詠者が句に何を、どの様な思いを込めてパッキングしたのか、
「何故その動詞なのか? 付属語なのか? その季語なのか?」を
読み解く解像度を上げない限り、自句の推敲の精度もまた、上級の上位の壁を
越える事は難しいでしょう。
厳しい事を申し上げましたが、上級の頂を目指すなら避けて通れない険しい崖です。
乗り越えられる事を、心よりご期待申し上げます。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
曲水の宴で穏やかなせせらぎにのって詩歌が詠い読まれる
清らかな吟詠はまるで神への祈りのように静かに漂っている
それは天へと届けとの祈りと共に
一句一遊 水曜掲載句 お題「曲水」
うーん、やはり金曜掲載句と比較すると景のリアリティが圧倒的に足りないか
確かに詩:景の配分も3:7じゃなくて7:3くらいの模様、、
投句したやつは今の全力
目指せ天の句として厳しめにご鑑賞いただけると幸いです
同時投句
曲水や千年紡ぐ詩の豊か
曲水の詩歌しなやかに白拍子