「節分や鬼は吾にこそ御座しけれ」の批評
回答者 ネギ
みつかづ様
こんばんは。読み返して頂きありがとうございます。
見たままを句にしょうとしましたが、伝わりにくい句になってしまいました。
動詞がなくいけませんでしたね。
「C:JCT途切れ途切れの冬茜 」
山陽道を走っていた風景です。柱やカーブ、樹々が時々視界を遮るので、途切れ途切れに 冬の夕焼け空が美しく見える。ことが詠みたかったのです。
「パラパラ漫画」上手いきませんでした(笑)色々、考えてくださりありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
点数: 1
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私が苦手な句末の「けり」の練習を兼ね、兼題「節分」で心情句を詠んでみました。
意図せずして草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」と殆ど同形の
「や」、「けり」のダブル切れ字になりましたが、
「間投助詞「や」と伝聞過去の助動詞「けり」の切れが草田男の句と同様、
同じ位相に存在してなくて衝突してないから、まあ無くは無いか。
寧ろ、「けり」でないと回収できないかもしれない」との判断でございます。
草田男の句:歴史的距離
拙句:倫理的反転
句意:節分だなあ。……そうか!(様々な)悪(痛み、悲しみ、つらさ等)を
教える為に、鬼は(今まで)私においでになってくださっていたんだな。
切れ→緊張→緊張→解放の四層構造で、節分と鬼は季語が近過ぎる様に見えますが、
この句の鬼は「意味を書き換えられた存在に過ぎない」ので問題無く使えるとの
判断でございます。
自己中心的悟りだと読解される危険性が心配ですが……