「神宮の鳥居をくぐり四方の春」の批評
白梅さん。
新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
貴句、拝読いたしました。
作者コメントにある「内容も句意も全然ない一句のよう」には、
私めには見えませんでした。
「鳥居を通過した後の世界が、少しだけ開けている」という感覚が
過不足無く提示されているのではないか、と。
季語
「四方の春」は映像や音声を持たない時候の季語ですので、鳥居は普通は
くぐるものですが、貴句では必要な動詞で、在るからこそ「砂利の音、足裏の感触、
視界の切り替わりが喚起されている」との読解が可能でございますので。
私めが一点惜しいなと思ったのは、上五「神宮の」。
これだと全国の(有名な)神社だと何処でも当て嵌まってしまい、独創性の部分で
少し句としては損になり得ますので、ワザと場所を特定させて「熱田宮」と
お書きになる方が、句の重心が合って良かったのではないかと、私めは考えました。
・熱田宮鳥居をくぐり四方の春
熱田神社の鳥居との確定により、名古屋という都市と歴史を背負った一点に
なります。この変換での効果は以下が考えられます。
・句の景が締まる
・作者コメントと句が齟齬を起こさない
・「随分前に作った一句」が現在の文脈に回収される
これにより「場の格」、「季語の抽象度」、「新年句としての性格」が
より一層引き立つのではないかと、私めは考えてみた次第です。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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新年の挨拶句のつもりです。
内容も句意も全然ない一句のようです。
申し訳ありません。
随分前に作った一句ですが、スマホ内で見つけたので
投句させていただきました。
よろしくお願いいたします。
神宮は名古屋市の熱田神宮です。
あの信長公も戦勝祈願した神社です。
お正月になると、わずかな違いでしょうが、陽が少しだけ
長くなった気がするのは私だけでしょうか。