「川辺澄む中にや揺れる芒の穂」の批評
回答者 みつかづ
再来、失礼いたします。
<常連の方々に、抽象的な情緒表現は、控えた方がよいというご指摘は、
いつも承っています
「その理由は何故でしょうか? お教えください」とお問い合わせなさいましたか?
どの様なお返事でしたでしょうか?
何故、その様に指摘されるとあなたはお思いでしょうか?
俳句における「余白の美」を、あなたはどの様にお考えでしょうか?
<上五は、「具体的描写」としての澄みではなく、川の水、川辺そして
それを詠む私自身の心情を詠んでます。
「詠む」とは、詩歌を作るという意味の単語でございます。
「川辺澄む」の5音に、どの様な心情を込められたのでしょうか?
込めたところで読者に伝わらなければ、独りよがりだったとの反省はございますか?
<中七は、中句切れを意図的に使いました。中村草田男のあの句の中七です。
それは草田男の名句の構造を、しっかりご理解なさっての模倣でしょうか?
それとも形だけの真似でしょうか?
私のここの句にも、草田男と同じ形の中句切れございますよ、方向性が違うだけで。
必要とあらば、意識せずとも「型の構造的理解」があれば自然にできます。
草田男の句は音節構造こそ5・7・5の定型ですが、
意味上は前半8+後半9の「意味上の句跨り」です。
私めの「朝練の日や遅刻の入学日」と構造はほぼ同じです。
(間投助詞「や」の意味が違うだけ。草田男は詠嘆、拙句は強調・呼び掛け)
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/29938
<ことばの全てが、品詞分解をしてそのことばを使う人の心情そのものも
わかるということではないとの考えを私は主張したい
主張したいとのご意見はご自由で構いませんが、伝わらなかった事を
他責なさっておられませんでしょうか?
頓さんに以下のコメントなさっておられましたよね。
「中句切れのリズムを察してくれない方々ばかりなので、残念でした」
私、上記のコメントを拝見した際、怒り心頭でした。
「草田男の「や」での橋渡し構造も理解していないのに引き合いに出し、伝わらずに
他責にするとは許されざる草田男への冒涜。草田男に心から謝ってほしい」と。
リズムよりも、技法よりももっと大切なのは、季語に託されるあなたの
思いなのではないでしょうか。伝えたい心、伝えたい感動がおありなので
俳句をお詠みなのではないのでしょうか?
何故それが二の次で技法ありきなのでしょうか?
慈雨さんへのコメントの頭の「長々と」。
アドバイスしてくださった方への返礼として、
失礼な表現だとあなたは思わなかったのでしょうか?
大切な事だからこそ、貴重な時間を割いて慈雨さんはあれだけの
長文を精査してお書きなのです。
本当に勉強になったとお思いであれば、「たくさんの貴重なお言葉」との
フレーズ出ますでしょう。思い付きませんでしたでしょうか?
<いろいろとご講評下さったことは、ありがたく思います。
これからも、どうぞご指南ご指導の程宜しくお願い申し上げます。
比良山さんにはコメント、現状では書く事ができません。
でも、比良山さんに対しても同じ思いでしょうか?
結びが本心であるならば、是非とも句にお起こしになっていただきたいと、
感動に巻き込んでいただければと私めは存じます。
以上です。長文失礼いたしました。
点数: 1
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秋風が吹く川辺を歩いていたとき、詠んでみました。