「白熱の球児の夢や玉の汗」の批評
ご無沙汰しております。貴句、拝読しました。
結論:原句のままでは、球児が「とある球児1人」との、「藤川球児さん」との、
夢が「睡眠中の夢」との誤読のおそれあり。
と申しますのは、「球児の夢や」と夢を詠嘆してしまっているので、例えば
「とある球児(もしくは藤川球児さん)が熱帯夜の睡眠中に、グラウンドが
白熱している試合中の夢を見て、寝汗をかいているのか?」との
読みも可能な訳です。
「球児の夢よ!」という叙情的な詠嘆によって、
季語
「玉の汗」との文脈連結が弱まってしまう可能性が出てしまいます。
つまり、以下の乖離が生じていると読めてしまう訳です。
作者コメントから推定される句意:
実際の甲子園での激闘と、その結実(優勝)
流した汗=努力と熱意の象徴
「夢と希望」という抽象を、試合や応援に託している
句の字面が示すもの:
・主体の明確さに欠け(複数球児なのか1人なのかも不明)
・「夢」と「汗」の因果関係が不明確
・結果(=優勝)も経緯(=応援)も描かれていない為、ドラマの輪郭がぼやける
よって作者コメントより、添削
の範囲に留めるなら以下を添削案として
提示させていただきたいと、私は考えました。
夢と書かずに「夏の甲子園で優勝したいとの夢や希望である(あった)に
違いない」と、読者に思わせる方法です。
A:玉の汗球児手にした優勝旗
B:炎天や球児を包む応援歌
Aの構造は以下です。
季語「玉の汗」=季語、努力の象徴として主役化
「球児」=複数形と明示(曖昧さ排除。球児1人だけでチームは優勝できないので)
「優勝旗」=成果の象徴。感動の根拠を与える
情景と心情、結果から「きびしい練習を積んできたに違いない」との
読みの流れが明確
Bの構造は以下です。
「炎天」=夏の厳しさを象徴し、作者も応援者として共有している
「応援歌」=夢・希望を間接的に表現
「球児を包む」→象徴的な母性的包摂の構図も生まれる
助詞「や」が適切に効いており、主旋律は「炎天」であると読者に伝わる
この様にお詠みになれば、「とある球児1人」、「藤川球児さん」、
「睡眠中の夢」だなんて誰も思わないでしょう。
ご参考になれば幸いです。
以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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友達の孫が甲子園で優勝しました。
日々練習に励む彼らには夢と希望があります。皆で応援しました。