「かくれんぼ泡立草の森の中」の批評
回答者 なお
こんにちは。長谷機械児様、いつもお世話になってます。
私の友人の三連作にご評価ご添削有難うございました。
蚊の句は、「暗殺者」を生かしてくださって有難うございました。
蝉の句は、いくら秋の蝉でもそんなに近くで鳴かれては儚さも何もあったもんじゃない、その通りですよね。提案句はそのままいただきます!
全体に軽妙洒脱と捉えてくださってホッとしました。
御句、これはとてもいいですね。正直申し上げますと、私は長谷さんの句は、観覧車とか社会的時差ぼけの句まではついていけたのですが、それ以降はちょっと難しくなり、拝読はしていましたがコメントまでは出来ませんでした。そこにこの句。なんときれいな、素直で自然な、優しくて温まる句なのでしょうか。コメントを拝読すると、子どもの頃のイメージ供養とのこと。さもありなん。
好みの句です。有難うございました。
点数: 1
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子どもにとって、セイタカアワダチソウの黄色い花の高さは驚異であり、その草叢は森だ。なかなかよい隠れ場所だ。
(あくまで私の子ども時分の話。今は駆除が進んできていて、背の高いものは減ってきているのだとか)
ニッチな季語第2弾の投句のつもりは今朝までなかったのですが、思い出したので投句。
思い出した、というのは、小学生時分に宿題俳句として思いついたイメージながら、「セイタカアワダチソウが季語(学校から配られた季語の一覧)に入ってない!」と、俳句にするのを諦めたこと。今朝、手元の歳時記の索引を繰ってみるも見当たらず。きごさい歳時記を見直して、ありました「泡立草」(初秋、植物、例句なし)。
そこで、当時思いついていたイメージから特に変更はせず、五七五に収めて投句。これはいうなれば、“イメージ供養”みたいなもの。