「咲きかけの薔薇たむけるや走馬灯」の批評
回答者 なお
小沼天道さん、こんにちは。
御句拝読しました。薔薇と走馬灯の季重なりについては、慈雨さんがすでに言及していらっしゃいますね。
私からは、下五が何でもよろしいのであれば、不足している情報を入れてみては、と思いました。
不足している情報とは、「いつ」とか「誰に」とか、「何のために」というような情報です。
不足しているというより、入れれば作者の思いがより鮮明に読み手に伝わるのではないかと。
原句のままでは、「手向ける」とありますからどなたかが亡くなったのだとはわかりますが、「咲きかけの薔薇」と、供花の状態と種類はとても細かい割に、誰に捧げるのかがわかりません。
もちろん、それを想像してもいいのですが、「へえ、君のオヤジさんは薔薇が好きだったのか、男なのに粋だねえ」とか、「えっ、彼女が亡くなったの?お気の毒に」とかに読まれると、ちょっと違うかもと…(余計なお世話ですが)。
・咲きかけの薔薇を手向ける母の墓
・咲きかけの薔薇を棺に痛いかな
二句目の「かな」は詠嘆のかなではなく、痛いかな?という感じです。よろしくお願いします。
点数: 1
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季語:薔薇
「私、薔薇はこのくらいの咲きかかってるくらいが一番好きなのよね~」と言ってた母を思い出して薔薇をたむけてると言うシーンです。(まだ母は元気です。(^-^;))
・「咲きかけの薔薇たむけるや」で状況も情景も見えてしまって、下5は本音のところ、何でも良いから思い出を想起させるような言葉、「走馬灯」と言う言葉を入れました。「もっとこうすればいいのに・・」と言う提案がございましたら是非よろしくお願いします。