「納豆の香の確かなる終戦日」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句、まず、納豆が冬の季語ということに驚きですね。まず、ここは納豆でぴたっとくると思いますけどね。季語の重なりがまったく気にならない。まったく。
一方で、他を考えるならトーストかバター、マアガリン、だったんですよ。
でも、知世さんのコメント見て確かにって思ったり。そう考えるとイサクさんの食パンがぐっとくるのかなと。
結果、納豆のまま行く方がよいのではと思いました(*'▽')それはそれと平和の実感を毎日の食事の香りで感じる、とても佳句だと思います!
点数: 0
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
終戦記念日にいつもの食事。毎日くりかえす生活を確認する。
実景なので、日記の俳句としてしまえば、これはこれなのですが。歳時記の索引を繰っていると、「納豆」は冬の季語ですと!
私のように毎日納豆を習慣のように食べている人は多数いるだろうし、毎日くりかえす生活の匂いといえば、納豆は最適と思われるのに、冬の季語。残念。
「終戦日」のほうを季語として残し、「納豆」の方を別の何かに変えるとして、多くの人が当たり前の生活の中で毎日繰り返し感じる匂いだ、と共感するものって他になにかあるでしょうか。季語でない事物で。できれば、花のような所謂“いい匂い”ではないもので。
あと、米飯はやめておきたいです。戦中戦後は「銀シャリ」と呼んで、当時を生きた人には記憶に深く残っているそうで、「終戦記念日」(戦争)に即きすぎと感じますので。