「探梅の朝オカリナのアベマリア」の批評
回答者 いるか
内田博幸さん、こんにちは
御句拝読しました
もう一つの句よりこちらの句の方が出来ていますね
探梅の春の雰囲気にオカリナの優しいアベマリアの音色がマッチしていると思います
本句、このままいただきますね
今後ともよろしくお願いいたします
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作者 内田博幸 投稿日
回答者 いるか
内田博幸さん、こんにちは
御句拝読しました
もう一つの句よりこちらの句の方が出来ていますね
探梅の春の雰囲気にオカリナの優しいアベマリアの音色がマッチしていると思います
本句、このままいただきますね
今後ともよろしくお願いいたします
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回答者 独楽爺
こんばんは。
オカリナとアベマリアはどちらも印象が強いので全体としては詰め込み過ぎ、すなわち焦点がぼやける印象です。
"探梅の朝の目覚めはオカリナと
"探梅の朝の目覚めはアベマリア
よろしく。
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回答者 鈴蘭
こんにちは、御句拝見しました。
実を言うと初読時、「なぜこの人は探梅に行く朝にオカリナでしんみり系の曲を吹いているのだ」と思ってしまいました。外で吹いていた人がいたのですね。視点は断りがなければ詠み手が主体になってしまうので、調整するとよいかと思います。
探梅やオカリナを吹く人をりぬ
探梅の園オカリナのアヴェ・マリア
点数: 0
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回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
二句投句のうちこちらの方がいいですね。
対句の形になっていて、「オカリナのアベマリア」と置いてあれば「聞こえてくる」という想像はできます。
しいて言えば「探梅の朝(に)オカリナのアベマリア(が聞こえてきたよ)」という散文の一部を切り取った形のためにやや報告感は残るのですが、これはこれで充分な形かとも思います。
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回答者 なお
内田博幸さん、こんにちは。
御句拝読しました。
私は、先の方のコメントにもありますが、梅を観に行きがてら、その公園かどこかでオカリナでアベマリアを吹くのかと思いました。
そう思った理由は二つあり、一つは、基本的に俳句の場合は自分のことだということ、この句の場合、「聞こえる」のような言葉があれば他の人が吹いているとわかりますが、それがないので。
二つ目の理由は、楽器と曲名があまりに具体的、特定されているからです。オカリナもアベマリアも、そこまで一般的ではなく、普通、聞いただけですぐにわかるかなと。
これが口笛で「春よ来い」とかなら話は違いますが。
というわけで、私は「オカリナのアベマリア」のどちらかにして、その分、梅を観に行った作者とは別の人のことだとしたいです。
・探梅の朝オカリナの調べあり
・探梅の林にアベマリア流る
一例ですが、まあ、意味するところはこういうことです。
よろしくお願いします。
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
自宅近くの公園の梅がそろそろ咲いたかな?と見に行ったら、年配の男の人がオカリナでアベマリアを吹いていて、妙な取り合わせに心が和みました。