「笹鳴きや木は春求む手の形」の批評
回答者 頓
頓、再々訪です。
提案句ですが、「手」をとるか「形」をとるか、誠に難しいですなぁ…。
「手」をとった場合の提案句も置かせてください。
「笹鳴きや木の日(陽)を求む手となりぬ」
何度も申し訳ございませんm(_ _)m。
点数: 0
作者 いるか 投稿日
回答者 頓
頓、再々訪です。
提案句ですが、「手」をとるか「形」をとるか、誠に難しいですなぁ…。
「手」をとった場合の提案句も置かせてください。
「笹鳴きや木の日(陽)を求む手となりぬ」
何度も申し訳ございませんm(_ _)m。
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回答者 春の風花
いるか様 こんにちは
拙句「ドクターイエロー」へのコメントをありがとうございます。
中八はこのままで気にしなくてよいとのことありがとうございます。
めいさんご提案のような作り方も考えてみようと思います。
御句
早く春になってほしいと願う鶯の声を聴き
木の枝を春を掴もうとしてる手に見立てて詠まれたのかな
そんな想像しました。
そんな思いが伝わってくる佳い句だなと思います。
またよろしくお願いします。
点数: 2
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回答者 鈴蘭
こんにちは、御句拝見しました。
笹鳴きと春で季重なりですね…! 狙ったものではないとお見受けします。取り合わせについては、確かにつきすぎの印象も……これは「笹鳴き」と言った時点で木立や藪が浮かぶからだと思います。
木は春求む手の形、だけで一句できそう。春の句としては「言ってしまった」感がありますが、そのぶん上五を春らしくないものに離せば……
隠沼(こもりぬ)や木は春求む手の形
石塚や木は春求む手の形
破屋ありて木は春求む手の形
点数: 1
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回答者 鈴蘭
追記:
「春求む」なのでまだ春ではないという意図だった場合、季重なりとは違うかもしれませんね……。うっかりしていました、すみません。
ただ、それにしても取り合わせは近いと思います。「春」は早春や春寒をはじめとする寒さも内包しているので、「木は春求む」が確実に冬に見えるわけではないし、訪れた春に向かって手を伸ばしはじめたとも読み取れてしまう。やっぱり春のイメージが付いて回る気がします。
以上、次々と失礼しました。
点数: 1
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回答者 いち
お世話になります。
中七下五が工夫された点だと思います。
ただ、季重なりが発生しているのと、文法的に求む→求むるが正しいため、以下のとおりではいかがでしょうか?
鳴く鳥や春を求むる木の形
手の要素は、消えてしまいましたが…
ご参考まで。
よろしくお願いいたします。
点数: 1
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回答者 頓
頓再訪です。
原句をよく鑑賞しておりませんでした。
提案句を訂正致します。
「笹鳴きや木の日(陽)を求む形(かたち)かな」
「日(陽)」は春を表したつもりで、原句を尊重致しました。提 他は先のコメント等変わりません。
作句に当たってのコメントをよく拝読しておりませんでした…申し訳ございませんm(_ _)m。
点数: 1
回答者 こまった爺
こんばんは。
はじめまして。
御句拝見致しました。
季語「笹鳴」自体、春を求めている季語です。
季重なりの必要はないのではないでしょうか。
木が手の形をしているとされたところに、
僅かながら詩を感じます。
感想のみですがよろしくお願いいたします。
点数: 0
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回答者 頓
いるかさん、お早うございます!
早速にて…。
「笹鳴き」と「春求む」は、微妙なところですが、季重なりの可能性は否定し切れません…。
また、「木は」の「は」は、どうも説明的な助詞になりがち…「て・に・は・が・も」は禁じ手、と、ある入門書にありました…当然、例外もありましょうが…。
以上を踏まえて、
「笹鳴きや木々手の形(かた)となりにけり」
イマイチですかなぁ…。
ご参考迄に…。
点数: 0
優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
どこからか笹鳴きが聞こえる
そう思い林に目を向けると未だ裸木の樹木が早く春を掴もうかと空に手を伸ばしているようだった
景/カメラワークの誘導としては作用しているが、取り合わせの妙は少なめか、、