「妻と聴く実家の時計大晦日」の批評
回答者 イサク
おはようございます。はじめまして。
「妻と(人)」「聴く(音)」「実家の(場所)」「時計(映像の主役)」「大晦日(季語)」と要素が五つ。言いたい要素を全て十七音に詰め込んでしまって、窮屈な句になっています。
また、報告したいことを詰め込んだために、単なる短い日記のような報告的な句になってしまいました。
先にコメントしているお二人の提案句も、どれか要素を削らなければ作れないほどでした。
一句十七音。その中で、受け手を感動させられるには? 言いたいことが多いのはわかりましたので、句をいくつかに分けることも考えましょう。詰め込み過ぎは大抵失敗します。
この句は、句の構造から、たぶん「時計を聴く」という行為が先ず言いたかったのだと思います。そこに「実家(場所)」と「妻と(状況)」という要素を足してみたら、窮屈になったように見えます。
「音」へのフォーカスで「妻」を外すパターンは、なお様がいろいろ提案してくださっているので、それをご参考に。
「時計の音」フォーカスで「場所の説明」を外すなら
・妻とゐて時計鳴り出す大晦日
他にもいろいろ作り方はあります。
作り方として、ひとつ先の話です。
俳句で全部説明してしまうと「で?」という句になりがちです。
全部言わずに要素を絞って、受け手に想像の余韻が残るような工夫をしてみる、というのもやがて意識してみてください(連想ゲームではないので、露骨にはやらない方がいいですが)
点数: 1
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年末に帰省した実家での実景の句です