「霜柱踏まれるために生まれ来し」の批評
おはようございます。
ここまで誰も指摘していなそうなので・・
文法は統一した方がいいです
(句の途中で文法を変える手法もあることはありますが、狙ってないですよね?)
霜柱踏まるるために生まれ来し (文語)
霜柱踏まれるために生まれ来た (口語)
「ために」の部分が口語っぽいので、口語の方が統一感があるように見えますね。
(仮名遣いは、御句では現代・歴史的どちらを選んでも変わる場所がありません)
・わたしなぞ踏まれるものよ霜柱
ついでに余談。
このサイトの方は「古語」という言い方でひとまとめにしてしまう方が多いですが
◆文法としての「文語」「口語」
◆表記としての「歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)」「現代仮名遣い(新仮名遣い)」
これは似て非なるものなので、意識した方がよいと思います
このサイトの方々が「古語」と呼んでいるのは、「文語」+「歴史的仮名遣い」ですね。
我々が普段使っているのは「口語」+「現代仮名遣い」です。
俳句
や短歌では「口語」+「歴史的仮名遣い」も多数見受けられます。
「文語」+「現代仮名遣い」は見た目の違和感が強く使いづらいですが、私はたまに使ってます。
文法・表記のミスは、選者もミスのある句をそう簡単に入選させられませんし、うっかり入選しても公開されたときに非常にカッコ悪い気持ちになります。
「古語」とひとくくりにせず
◆「口語」か「文語」か
◆「現代仮名遣い」か「歴史的仮名遣い」か
それぞれ選ぶのは作者自身ですので、二つの要素として意識すると、イージーミスが減ってボツ率が下がってくるように思っています。
霜柱踏まるるためにあるやうな(文語・歴史的仮名遣い)
霜柱踏まるるためにあるような(文語・現代仮名遣い)
霜柱踏まれるためにあるやうな(口語・歴史的仮名遣い)
霜柱踏まれるためにあるような(口語・現代仮名遣い)
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
霜柱は、本当に踏まれるために生まれて来るのだろうか。
人間はややもすると無意識に弱者(人も物も)を踏みつけてはいないだろうか。
面白がったり、あるいは自分の欲求不満を解消したり。あるいは自分を誇示したり。
今朝、そんなことをふと思いました。